戦国史研究(第53号) の商品レビュー
(論文) 戦国大名武田氏の一門と領域支配 丸島和洋 「江濃越一和」と関白二条晴良 片山正彦 (研究ノート) 『本光国師日記』に情報を読む―「情報」論のこれから― 大嶌聖子 (羅針盤) 相馬氏の牛越城移転と泉氏 岡田清一 徳川家奉公人小笠原正吉について 小川雄 戦国史関係...
(論文) 戦国大名武田氏の一門と領域支配 丸島和洋 「江濃越一和」と関白二条晴良 片山正彦 (研究ノート) 『本光国師日記』に情報を読む―「情報」論のこれから― 大嶌聖子 (羅針盤) 相馬氏の牛越城移転と泉氏 岡田清一 徳川家奉公人小笠原正吉について 小川雄 戦国史関係論文目録(平成18年1月~6月) 戦国史にまんべんなく興味があるという訳ではないので、パラパラ読む。 「戦国大名武田氏の一門と領域支配」が目当てであったが、なかなか面白かった。 以下、備忘的に ここでいう一門とは、古くからの庶流家を指すものではなく、当主の子弟を中心 に構成されたもので、戦国期に入って新たに再編された家格である。 武田氏では、内訌の結果当主に近い親族のほとんどが失われており、御一門衆の 整備が一つの整備課題であった。家督相続時の信玄にとって、当主子弟として次 弟信繫はほとんどは唯一の存在であった。(この時点で成人と見なし得る弟は、 信繫のみ) 信繁は信玄の名代として、一軍の大将を担い、外交面でも活躍が期待される存在 であったが、支城領を形成した微証を見出すことはできない。 御一門衆は当主の子弟として、本来的には独自の所領を有さない。当主から知行 を与えられることで、独自の軍事力を保持することが可能な存在であった。 信玄は、新たに獲得した分国で新恩を与える事により御一門衆の基盤強化を図る。 御一門衆の中核でたる信繫、信豊、信廉は、甲府在住が基本であり、領域支配への 関与は薄かった。御一門衆であることが、領域支配者につながるものではなかった。 戦国大名が一門に国衆家を継がせる目的は、国衆家とその家臣を、安定した形で 影響下に取り込むことにある。 武田家の支城領は、いずれも国衆領を組み込んで成立したものであり、その移行は 国衆家の相続という形でおこなわれた。
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