最強の小・中・高・大一貫教育 の商品レビュー
実際に著者(小田さん、と書かせてもらう)が中等部の部長だった時代に、教え子として学んだ者として、古本屋で発見したときには懐かしくて手に取らない訳にはいかない本だった。 小田さんが冒頭でおっしゃっているように、教育とは人格形成のために行なうものだ、ということを成人して一児の父親と...
実際に著者(小田さん、と書かせてもらう)が中等部の部長だった時代に、教え子として学んだ者として、古本屋で発見したときには懐かしくて手に取らない訳にはいかない本だった。 小田さんが冒頭でおっしゃっているように、教育とは人格形成のために行なうものだ、ということを成人して一児の父親となった今、実感として感じている。そういう意味において、エスカレーター式の教育課程は、人によっては物足りなさもあるのだろうが、その本分を踏み間違えなければ、最高の環境であるとも言える。理想を言えば、これは私学のみならず、官学としても実践されているべきだ。 しかし現実は甘くない。分業化が進められた近代の資本主義社会においては、与えられた課題をきちんとこなしていく能力が高い者ほど重宝され高評価を得られる。受験戦争はその極みだ。出題された問題に答えていく過程において、バツの数が少ない人間が勝ち抜いていく。同じことは社会人になっても繰り広げられ、特に典型的なサラリーマン社会ではバツが少ない人間から出世していく。 それでも供給サイドが高回転をし続けなければいけない右肩上がりの時代にはそのモデルが機能していた。工業製品の大量生産時代からファイナンスにその主役が移っていったとしても、生み出すものが変わっただけで、構造は変わっていない。しかしそのモデルが破綻しつつある今、教育制度のような中長期にわたって取り組む必要のある改革は、今すぐにでも手を付けないことにはいつまで経っても変わることはないだろう。 小田さんがモデルとしているイギリスの教育制度に関しても、(正統派のパブリックスクールを除いて)サッチャー時代に変化していったことを、小田さんは暗に嘆いていた。アメリカの公教育の一部が崩壊していることも知られている事実。教育に関する国際競争力が全くない日本。ゆとり教育の失敗(失策ではない、つまりスタート地点は間違っていなかった、とは思うのだが)の反動の議論についても何か的を得ていない気がする。 子供の教育を考えると、本当に悩みが尽きない。先進国の(公)教育モデルは破綻しているのだ。しかし、卒業生としての実感だが、卒業生同士の絆が深いことや愛校精神など魅力的な学校である慶應も、初等教育から自分の子供を投げ込むことに関しては非常に悩む。それは学校自体が悪い訳ではないのだが、どうしてもその校風なり価値観なり、また家庭の経済環境なりが重なり合って、生徒の環境の多様性に乏しい。あえて端的に言ってしまうとすると、温室育ちの子供を生み出しやすい環境が期待せずとも出来てしまっているのが現状だ。そういう意味では、サラリーマンの子も、お店屋さんの子も、様々な事情により父子・母子家庭で育っている子も、お手伝いさんがいるような家庭で育っている子もいるような、ちびまる子ちゃんを絵に描いたような学校があると一番良い。 なかなか現実の中では難しい問題だ。理想を言うのは容易いのだけれども。正しいと思う選択が必ずしも生き残るための選択ではないこともあるのが世の中だ。それでも子供には色々な経験をして育っていって欲しいと願う。不条理なことも学んで欲しいし、痛みも感じて成長して欲しい。
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慶應義塾大学名誉教授の小田卓爾が、自身のイギリスでの経験や、慶應義塾ニューヨーク学院学院長を勤めた経験などをもとに、教育のあるべき姿を綴ったものです。「いかに次の学校に入るか」ではなく、「次に行ったら何をどうする」ということを学んでいける一貫校の特徴が解りやすく述べられており、慶...
慶應義塾大学名誉教授の小田卓爾が、自身のイギリスでの経験や、慶應義塾ニューヨーク学院学院長を勤めた経験などをもとに、教育のあるべき姿を綴ったものです。「いかに次の学校に入るか」ではなく、「次に行ったら何をどうする」ということを学んでいける一貫校の特徴が解りやすく述べられており、慶應義塾ニューヨーク学院の特殊なカリキュラムにも驚きました。複数の取材を1冊に纏めたものなので、同じような内容が繰り返される面もありますが、それだけ印象に残るので良いと思います。
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内部では「知識がない」と否定的にとられがちな慶應の小中高大一貫教育を肯定的に書いている。「勉強」とは「受験勉強」だけを指すのではないという視点からその良さを語っており、特に中等部とNY学院の教育制度についてよくわかる。イギリスのシックスフォームの教育制度との比較が多い。著者の教育...
内部では「知識がない」と否定的にとられがちな慶應の小中高大一貫教育を肯定的に書いている。「勉強」とは「受験勉強」だけを指すのではないという視点からその良さを語っており、特に中等部とNY学院の教育制度についてよくわかる。イギリスのシックスフォームの教育制度との比較が多い。著者の教育者としての懐の深さもよく伝わってくる。
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