寺田屋騒動 新装版 の商品レビュー
大河の翔ぶが如くを見て予備知識を入れた上での読書。通説などは知らないが、海音寺さんの解釈はすっきりしており、違和感はないかな?久光の長州嫌いという視点は興味深かった。
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寺田屋事件を焦点とした薩摩における幕末史前半戦をまとめたもの 『西郷と大久保』とものすごくかぶる 後半戦が読みたいです海音寺先生
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薩摩藩の内ゲバ、同志打ち、wikiを参照してもいまいち分からない。この本の内容となると明治維新の初学者には難し過ぎる。後半流し読み。
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歴史小説ではなく、史伝とのこと。 事実関係がそうなのかもしれないが、やはり複雑な印象。 最後は読み飛ばしてしまった。
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本書は史伝であり、小説ではないところに読み手の力量が求められるのが史伝かなぁと感じた。寺田屋騒動は歴史小説好きの私にとって物語的認知度が高い歴史的事件であるが、史伝という性格を持って書かれた本書を十分に消化するには、読み手として力量不足であったと思う。
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「寺田屋騒動」海音寺潮五郎著、文春文庫、2007.12.10 392p ¥670 C0193 (2018.07.05読了)(2009.12.12購入) 【目次】 朝幕関係 久光由来 斉彬と誠忠組 大久保のはなれわざ 桜田門外の変 有馬新七 清河八郎と平野国臣 西日本を蔽う雷雲 ...
「寺田屋騒動」海音寺潮五郎著、文春文庫、2007.12.10 392p ¥670 C0193 (2018.07.05読了)(2009.12.12購入) 【目次】 朝幕関係 久光由来 斉彬と誠忠組 大久保のはなれわざ 桜田門外の変 有馬新七 清河八郎と平野国臣 西日本を蔽う雷雲 西郷帰還 西郷・大久保の談合 西郷の先発 薩摩ブロックと長州ブロック 禍の種子 大久保と西郷 久光上洛 京の風大阪の風 伏見集結 惨たり、朋友相討つ 陰惨な結末 解説 磯貝勝太郎 ☆関連図書(既読) 「史伝 西郷隆盛」海音寺潮五郎著、文春文庫、1989.09.10 「西郷と大久保と久光」海音寺潮五郎著、朝日文庫、1989.12.20 「真田幸村(上)」海音寺潮五郎著、角川文庫、1989.11.25 「真田幸村(下)」海音寺潮五郎著、角川文庫、1989.11.25 「蒙古来たる(上)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2000.09.01 「蒙古来たる(下)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2000.09.01 「天と地と(上)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2004.03.10 「天と地と(中)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2004.03.10 「天と地と(下)」海音寺潮五郎著、文春文庫、2004.03.10 (「BOOK」データベースより)amazon 文久二(1862)年四月二十三日、伏見の船宿・寺田屋の二階。長州と手を組んでクーデターを謀る薩摩誠忠組の動きは、長州嫌いの久光の怒りを買った。蹶起中止を説得する使者との間に朋友相討つ惨劇が起る。武士にとって藩命と理想、君命と朝命はいずれが重いか、この時点でこれは答えの出ない命題だった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
『幕末動乱の男たち』の「有馬新七伝」と重なる部分が多い。 本書では、薩摩藩のお家騒動から寺田屋の惨劇に至るまでの過程、その歴史的評価が描かれている。 寺田屋事件というのは、単なる薩摩藩での内紛のように思われがちだが、この事件を契機として薩摩と長州の反目が始まったという作者の意見に従えば幕末史を複雑怪奇なものにした大事件と言える。 登場人物や人間関係が複雑で難しい本だった。 まだまだ勉強が足りないと痛感させられた。
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過剰な西郷贔屓は別にしても 著者の薩摩人への愛情が真摯に解る作品。 平易な話し言葉では書かれてはいるけれど、 幕末という歴史の大転換で 示さざるをえなかった、薩摩藩という国のありようと、志士達個人の生き様 が生き生きと描かれている。 逆に、なかでも当時の勤王公家公卿達への 辛辣な...
過剰な西郷贔屓は別にしても 著者の薩摩人への愛情が真摯に解る作品。 平易な話し言葉では書かれてはいるけれど、 幕末という歴史の大転換で 示さざるをえなかった、薩摩藩という国のありようと、志士達個人の生き様 が生き生きと描かれている。 逆に、なかでも当時の勤王公家公卿達への 辛辣な批判は、いまを生きる日本人にも 向けられているに違いない。 そして、最後の寺田屋事件の悲劇的な顛末には のちの為政者としての薩摩人のイメージを覆すほど悲しい。
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「今しかない!」と、決起をはやる急進派。 「いや、まだだ」と、それを抑える穏健派。 歴史上何度繰り返されたか知れない急進派と穏健派の相克。たった2人のテログループから巨大な革命組織に至るまで、例外は無いであろう。内紛は身内同士の殺戮に至ることも少なくない。海音寺潮五郎が...
「今しかない!」と、決起をはやる急進派。 「いや、まだだ」と、それを抑える穏健派。 歴史上何度繰り返されたか知れない急進派と穏健派の相克。たった2人のテログループから巨大な革命組織に至るまで、例外は無いであろう。内紛は身内同士の殺戮に至ることも少なくない。海音寺潮五郎が描いた「寺田屋事件」は、薩摩藩誠忠組の悲壮な同士討ちを描き、幕末維新の一断面を浮き彫りにしている。だがそれに留まらず、あらゆる革命運動は、決して一本調子の前進などではなく、蛇行を繰り返し、行きつ戻りつした挙句にようやく成就されるものだという実相を描ききっている。 多くの人にとって寺田屋といえば連想するのは「竜馬」でしょう。「寺田屋のおりょう」が入浴中に敵方の包囲に感づき、裸のまま急を知らせ、そのおかげで竜馬が難を逃れたエピソードは有名すぎる。 坂本竜馬は明確に一本の筋を貫いたヒーローである。「日本の夜明け」を目指して走り続け、最後も「前のめり」のまま斃れた。だから司馬遼太郎の『竜馬がゆく』は8冊の長さでも一気に読み通せる痛快さがある。 竜馬とほぼ同じ時期、同じ場所で起こった事件だが、「寺田屋事件」に坂本竜馬は関係ない。そして、事件の背景は複雑で経緯もわかりにくい。『寺田屋騒動』はたった一冊だが、さして関心の無い一般の読者にはお勧めしにくい煩雑さがある。 私がこの本の旧版を初めて手にしたのは10年ほど前、事件に関与し生き残ったある無名の人物へのこだわりからだった。絶版になり古書の流通量も少なく、大いに苦労した。そういう限られた人にだけ読まれた本だ。この度新装版が出てあらためて購入し、読みやすくなった文字で再読した。 10年前「熱い思い」に駆られて読んだときとは違う感慨がある。 かつては、先君の遺志を継ぎ維新の実現を目指すという同一の志をもち、ともに闘ってきた仲間同士が殺しあわねばならぬ悲劇に目を奪われていた。だが今はそれとは異なる二つの教訓を読み取ることができた。 ひとつは、先にも書いたように、大業を成就させるための道筋はけして真っすぐではないこと。そしてもうひとつ。歴史はヒーローではない無数の無名の者たちの数限りないドラマ、かれらだけの物語によって形づくられているということである。 ある無名の人物へのこだわり、とさきに言った。当人が世の表舞台に出ることを自ら拒んだ男だった。だから、その名はここでは秘す。 だが、その人物が心ならずも後に華族となり、その爵位を継いだ長男が揮毫した額が、今も寺田屋に残っている。おそらくは後年そこを訪ねた貴族院議員に、主人が何か書いてくださいと頼んだのであろう。議員は父の座右の銘を揮毫した。書かれた文字の意味を、おそらくは誰一人気に留めるものはいなかったにちがいない。なにしろ現代でも「竜馬」人気にのみ依存している観光スポットである。 何と書かれていたか、それもやはりここでは書かない。 だが、その意味は、 「手柄は人に譲るべし」 である。 私だけはこの男の思いを、けして忘れたくない。
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幕末の薩摩藩の動き、内情がこれで初めてわかりました。 寺田屋騒動までの薩摩藩のことについてなら、この本がベストです。 西郷も大久保も、藩内では綱渡りだったんですねえ。 土佐藩も薩摩藩もみな殿様が攘夷倒幕に反対して家臣を弾圧したのに、長州藩の殿様だけは乗っかったなんて、その独自の道...
幕末の薩摩藩の動き、内情がこれで初めてわかりました。 寺田屋騒動までの薩摩藩のことについてなら、この本がベストです。 西郷も大久保も、藩内では綱渡りだったんですねえ。 土佐藩も薩摩藩もみな殿様が攘夷倒幕に反対して家臣を弾圧したのに、長州藩の殿様だけは乗っかったなんて、その独自の道はすごいかも。
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