てれんぱれん の商品レビュー
物語の舞台は長崎。 舞台というか、回想というか。 長崎担当なので、地名がほぼわかり、 ああ、あそこか、としみじみ。 それも☆5つに含まれてます。 被爆したからだの弱い父親は 「てれんぱれん」と生きていた。 体が弱いのはもちろん、積極的に 「動く・動かされる」と...
物語の舞台は長崎。 舞台というか、回想というか。 長崎担当なので、地名がほぼわかり、 ああ、あそこか、としみじみ。 それも☆5つに含まれてます。 被爆したからだの弱い父親は 「てれんぱれん」と生きていた。 体が弱いのはもちろん、積極的に 「動く・動かされる」というのが 感情にせよ、生活にしろどちらもなく。 原爆投下の時に見た光景にいまだに苦しめられている。 さらに白抜きの「てれんぱれんさん」たちも 見えるようになり、彼の苦悩は続いていたんだろう。 原爆により亡くなったこどもたち。 彼らはただ待っている。 親が見つけて迎えに来てくれるのを。 松竹梅でいうと梅の、上・並かといったら並の、 かみさまたち。 主人公はその父親の娘。「みっちゃん」 それ以外に名は出ない。 父親の背中に触れているときだけ、 彼女は「てれんぱれんさん」が見えた。 この話を読み終わって、 カズオ・イシグロの「私を離さないで」を思い出した。 声を荒げることなく強く訴えるこの小説は、 哀しく優しく深い。 オガタ、薦めます。
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女手ひとつで息子と娘を育て、娘は嫁入り、息子ももうすぐ結婚。ひとりで子どもの頃暮らしていた土地へ引っ越してきた初老?の女性が主人公。昔ニラ焼き屋をしていた母と、てれんぱれんとしていた父を思いつつ、解決できてない昔のある出来事がひっかかって…。というお話。 主人公の語り口がすごく、...
女手ひとつで息子と娘を育て、娘は嫁入り、息子ももうすぐ結婚。ひとりで子どもの頃暮らしていた土地へ引っ越してきた初老?の女性が主人公。昔ニラ焼き屋をしていた母と、てれんぱれんとしていた父を思いつつ、解決できてない昔のある出来事がひっかかって…。というお話。 主人公の語り口がすごく、親しみのもてるというか、感じのいい人、の語り方でするするっと物語に引き込まれる。両親の愛情にがっちりと支えられつつも自分の力でまっすぐ立っている感じ。お話がどうこうというより、主人公のそんな姿が印象的です。
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この作家の書く文章には不思議と温度を感じない。冷静、という態度に似た何かをいつも感じてしまうのだ。しかしそれは冷たさという表現とはそぐわない何かであって、冷静さなどという無機質な響きを伴ったものとは全く違う何かがどこかにあるのである。 作家が長崎に縁のある人であることはこれま...
この作家の書く文章には不思議と温度を感じない。冷静、という態度に似た何かをいつも感じてしまうのだ。しかしそれは冷たさという表現とはそぐわない何かであって、冷静さなどという無機質な響きを伴ったものとは全く違う何かがどこかにあるのである。 作家が長崎に縁のある人であることはこれまで知らずに居たのだが、被爆と色濃く繋がった「てれんぱれん」を読んで、その静謐さが、ひょっとするともう何処にも行き様のない感情の停止状態に由来しているものなのかも知れないと思うようになった。その根源にはもちろん大きな衝撃があるのだ。 感情の停止は、過去を惜しむ気持ち、新しいものを受け取れない気持ちなど、幾つもの感情が重なりもつれ合った状態であるとも言えると思うが、その状態へ投げ込まれてしまった衝動に付随しがちなものでもあるだろう。そのような衝撃を受けたことの無い身にとっては、ここに描かれている心の動きは、決して理解できるなどと口にすることのできないものだけれど、人間の感情が決して原因と結果という解り易い図式で表現し切れないものなんだろうということだけは切々と沁みて来る。 「聖水」でこの作家を知った時、どことなく若者に特有の醒めた印象を抱いてしまったのだが、その印象は、深いところで作家のこだわり続けている感情への作家自身の答え、あるいは答えを得ようとする態度に根ざしているものなのか、という印象に「てれんぱれん」を読んで鮮やかに変化した。
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