からみ学入門 の商品レビュー
議論や批評を否定してやっつけること、自分の意見を通すこと、自分の意見を主張すること、そんなものとしてことばを扱うようになってしまったのはいったいどこからだろうか。ことばの不思議を、存在の不思議はそんなちんけなものではない。 静かに耳を傾け、わからないことに真摯に驚き、わかることを...
議論や批評を否定してやっつけること、自分の意見を通すこと、自分の意見を主張すること、そんなものとしてことばを扱うようになってしまったのはいったいどこからだろうか。ことばの不思議を、存在の不思議はそんなちんけなものではない。 静かに耳を傾け、わからないことに真摯に驚き、わかることを分かち合うために問いかける。生きて死ぬこと以上に最高の学問はこの世に存在しない。
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偉い。まあ今の人がこれ読んでもどういう状況かよくわからんとは思うけど。 中学生のときに図書館でなだ先生の本いろいろ読んである程度影響を受けてるんだよな。政治的な話そのものはもちろんわからなかったんだけど、ある程度「ひいた」態度みたいなのが賢そうだった。 なぜ中学生のと...
偉い。まあ今の人がこれ読んでもどういう状況かよくわからんとは思うけど。 中学生のときに図書館でなだ先生の本いろいろ読んである程度影響を受けてるんだよな。政治的な話そのものはもちろんわからなかったんだけど、ある程度「ひいた」態度みたいなのが賢そうだった。 なぜ中学生のときになだ先生の本を読むようになったのか、ってのもいろいろあるんだけど、まあそれはまた。 「いったい、日本に、どうして哲学が育たなかったのであろう。カラミストが少なかったからではないか、とぼくは考える。日本では、対立とか対決とかいうものにことかくことはなかったが、対話というものは存在しなかったも同然である。それというのも、からみ方を知らなかったからだ。知らないばかりでなく、研究しようともしなかったからである。日本語の、からむという意味深い言葉を忘れ、なんでもかんでも、その場で、白か黒かの決着をつけようとしてきたからである。最近、ちょっぴりその反省が生まれて、これまで対決の姿勢なんていっていた政治家たちも、対話などという言葉を口にするようにはなった。だが、対話集会などという看板をかかげた集会をのぞいてみると、残念なことに、そこには対話がない。あるのは、ききっぱなし、いいっぱなしだけである。からみを考えずに対話をしようというのが、そもそも無理なのだ。そして、対話がないから哲学が育たなかったのだ。ギリシャ哲学を見つめるがいい。哲学は対話から始まった。プラトンは、彼の哲学を対話篇の形で書かなかったか。プラトンの精神的な師ソクラテスは、身のまわりの若者たちと、ただただ対話をこころみるだけのカラミストではなかったか。」(pp. 19-20)
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