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実践哲学の基礎 西田幾多郎の思索の中で の商品レビュー

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2011/08/11

西田幾多郎の「純粋経験」から「場所」に至るまでの思索を紹介している。西田の思想を、彼が生きた時代の思想的状況との関わりの中で論じていることが特徴。 西田の世代にとって、東洋と西洋との対立を克服することはもっとも重要な精神史的課題と考えられていた。とくに、西洋近代の個人主義を受け...

西田幾多郎の「純粋経験」から「場所」に至るまでの思索を紹介している。西田の思想を、彼が生きた時代の思想的状況との関わりの中で論じていることが特徴。 西田の世代にとって、東洋と西洋との対立を克服することはもっとも重要な精神史的課題と考えられていた。とくに、西洋近代の個人主義を受け入れた日本の青年たちは、もはや伝統的地盤に依拠することもできない状況の中で、確固とした「自我」を築くことの困難を感じていた。 清沢満之もまた、そうした状況の中で思想を形成していった。彼は、無限の宗教的境位に到達できない、有限の自己の立場を深く自覚していた。その上で、有限なる自己と無限なる絶対的境位とが、けっして合一することなく、矛盾のままで一つになってゆくところを求めた。「見神」の体験を語った綱島梁川も、そうした体験の中で単純に神と自己とが合一するのではなく、たがいに通じ合いながらも、神は神であり自己は自己であるとしていた。 西田幾多郎もまた、有限の自己と世界との断絶を克服する思想を、哲学の内で探し求めた。そこで彼が注目したのが、T・H・グリーンの「自己実現説」だった。グリーンは、善とは自己実現であると規定し、自己実現に向けて動いてゆく主観の発展が、究極的には宇宙そのものの運動と一つになると論じた。 西田はこうしたグリーンの着想に引かれながらも、主観的意志の発展と客観的宇宙の発展がどのようにして結びつくのか明確になっていないという不満を抱いた。そうした彼にとって、人生の問題を追及する倫理的課題と、実在のありようを求める形而上学的課題とが一つに結びつく思想を構築することが強く求められた。彼の処女作『善の研究』は、まさにそうした課題に答えるものとして書かれたものだった。 だが、西田は主観的意志と客観的宇宙の発展が合一するという側面を強調しており、満之や梁川が見ていたような両者の間に存する断絶を、十分に論じてはいない。彼のその後の思想は、こうした問題を克服することに向けて進められていったのである。

Posted byブクログ