ブルバキとグロタンディーク の商品レビュー
10年ぐらい前?にシモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』や今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』をよく読んでる時期があった(いわゆるマイブームというやつ)ので、そのせいが大いにあると思うんだけど、本書には通奏低音のようにシモーヌ・ヴェイユが登場しているように感じた。まあ、実際に登場してい...
10年ぐらい前?にシモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』や今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』をよく読んでる時期があった(いわゆるマイブームというやつ)ので、そのせいが大いにあると思うんだけど、本書には通奏低音のようにシモーヌ・ヴェイユが登場しているように感じた。まあ、実際に登場しているのだが、それはブルバキの創立者といっていいアンドレ・ヴェイユがシモーヌ・ヴェイユのお兄さんだから当然予想できたことではあるけど、シモーヌ・ヴェイユの登場は数ページであったにも関わらず、なんだか自分の中での印象は強い。 本書は数学書ではないので読んでも数学的な知見は(ほぼ)得られない。例えば「線形代数」という単語さえ出てこなかったはず。数学用語の解説も無くはないけど、具体的なものではなく、読者にイメージとして(悪く言えばボヤっとしたものとして)伝えようとしている。逆に言えば数学の知識が無くても読書として面白いだろうし、実際私は面白かった。 本書の主張の一つはこのようにも言えるだろうか。「ブルバキは「圏論」に則ってその著作『数学原論』を書き直すべきだった。グロタンディークが居ればそれができたのに・・・」 ええっと、私は「圏論」とか解ってないし、本書を読んでも「圏論」は絶対理解できないだろうし、著者アミール・D・アクゼルもそれは目指してないだろうが、主張の一つとしてはそう言っているように思う。 知識として、名前だけは知っていたグロタンディークが、苛烈な政治運動に身を投じた後に失踪していたことは、本書を読むまで全く知らなかった。 なぜグロタンディークは数学を捨てて政治運動にのめり込んでいったのか(数学を捨てたかどうかは本人にしかわからないが、傍目にはそう見える)。著者もその原因として考えられることを色々と書いているが、結局のところ本人にしかわからないように私には思える。ここで、ブルバキメンバーであったピエール・カルティエの著書からの引用でシモーヌ・ヴェイユが一瞬登場する。「彼のたどった道はシモーヌ・ヴェイユにとても近く」(p.223) 本書を読んでアンドレ・ヴェイユとシモーヌ・ヴェイユがとてもよく似た兄妹で仲の良いことがわかったし、何より驚いたのはシモーヌ・ヴェイユもブルバキの会合に参加していたことだ。その写真も本書には収録されている。アクゼルは「ブルバキには“妹”がいた」と表現していて、男ばかりだったブルバキのメンバーにとっても、シモーヌ・ヴェイユの参加は「間違いなくありがたいものだった」とも表現されている。 p.239にはアンドレ・ヴェイユについて、「さすがにそれは言い過ぎでは・・・(汗)」と思えることが書かれている。「ブルバキは数学のやり方を変えたが、実はヴェイユは、悪ふさげと、架空の人物を作り出すことにしか、目を向けていなかったのである」えーそうかな??むしろ架空の人物を作り出して、設定も一生懸命作って、設定の裏付けになる小道具も作って、その上で中身は超硬派な内容っていうのは、めっちゃセンスいいと思いますけどね私は。と思ったら訳者解説で水谷淳さんがその辺りの、アンドレ・ヴェイユの持つユーモアというものを取り上げてくださっている! そしてその辺り(ユーモア)がアンドレ・ヴェイユが持っていて、グロタンディークが持っていなかったもの・・・みたいなことが指摘されている。 そして、もしかしたらその辺りはアンドレ・ヴェイユが持っていて、シモーヌ・ヴェイユが持っていなかったものとも言えるだろうか?いや、どうだろう・・・。グロタンディークのこともわからないが、シモーヌ・ヴェイユという人物のことも私はいまだにわからない。 本書を読んで、何年も読みたいリストに入れてそのままだったシルヴィ・ヴェイユ『アンドレとシモーヌ』を思わず注文してしまった(版元品切だった)。
Posted by
うーん。。。やはり主観的な人物評がおおい。こういうのは苦手だ。。 数学者の本質は人物にではなく数学の仕事に宿る。。。。と思いたい。
Posted by
ブルバキの結成から衰退までを丁寧に記述した数学史の本。ブルバキの功罪について、著者の考えが明確に示されており興味深い。ブルバキの功績は、言うまでもなく、数学を「公理」と「構造」に基づいた厳密な言語体系として再構成し、それらを「数学原論」として著したことである。これにより、数学を学...
ブルバキの結成から衰退までを丁寧に記述した数学史の本。ブルバキの功罪について、著者の考えが明確に示されており興味深い。ブルバキの功績は、言うまでもなく、数学を「公理」と「構造」に基づいた厳密な言語体系として再構成し、それらを「数学原論」として著したことである。これにより、数学を学ぶ学生のみならず、文系を含む他分野の研究者から一般市民にまで、広く数学的な考え方を啓蒙することに成功した。一方、当時すでに致命的な矛盾やパラドックスが発見されていた「集合論」をベースに数学を再構成したことは、常に非難の対象となっている。著者は、ブルバキの最盛期にメンバーであった、アレクサンドル・グロタンディークの「圏論」をベースに数学原論を書き直すべきだったと主張している。また、著者は、ブルバキのリーダーであるアンドレ・ヴェイユが、数学の能力ではるかに秀でたグロタンディークに嫉妬して、恣意的にグロタンディークの手法を遠ざけたとしており、この点に関してはブルバキの不当性をかなり強調している。 とはいっても、グロタンディークはブルバキの第3期メンバーであり、数学原論を圏論ベースで書き直すのは時期的に無理があるし、圏論みたいな過度に抽象的な道具を使って当初の目的(学生や一般人への数学の啓蒙)を達成できたかどうかは甚だ疑問である。グロタンディーク自身、ブルバキの活動を「巨大な百科事典を作る試みであり、新たな数学理論を切り開くのには役立たない」と批判し、ブルバキを抜けてしまうので、結局、ブルバキとグロタンディークは互いの価値観を受け入れられなかったのだと思う。ブルバキの活動は、どっちみち(グロタンディークに限らず)大半の数学者には受けが悪いようなので、分かりやすい集合論ベースで基本的な数学のサブクラスを記述した、という結論で問題ないような気がする。(「厳密性」を謳っておきながら、カントールやラッセル、ゲーデル等の結果を無視する行為は、主張の首尾一貫性を保てていないし、明らかにブルバキの瑕疵だと思うが…) なお、本書では、ブルバキの活動がヤーコブソンの言語学と結びつき、文化人類学・文学・心理学・経済学などの諸分野を「構造主義」として席巻していく様子が克明に描写されているため、構造主義の勃興および繁栄の歴史的経緯を理解するために本書を読んでも面白いと思った。
Posted by
- 1