ヨオロッパの世紀末 の商品レビュー
本書は吉田健一の代表作であり近代日本の批評史を飾る傑作だ。犀利な現代文明批判だが、頽廃とみえた世紀末文化に現代文明を生み落としたヨーロッパの自己批判を見る。それは同時にヨーロッパ以上にヨーロッパ的になろうとした近代日本への痛烈な皮肉でもある。 18世紀にヨーロッパがヨーロッパと...
本書は吉田健一の代表作であり近代日本の批評史を飾る傑作だ。犀利な現代文明批判だが、頽廃とみえた世紀末文化に現代文明を生み落としたヨーロッパの自己批判を見る。それは同時にヨーロッパ以上にヨーロッパ的になろうとした近代日本への痛烈な皮肉でもある。 18世紀にヨーロッパがヨーロッパとして完成したとみる吉田は、19世紀とはその堕落であり野蛮であるという。19世紀にヨーロッパは多くの植民地を獲得し、あらゆる領域でその外延を拡大したが、それは単なる膨張であって決して発展ではない。政治、経済、科学技術、文化、芸術等々、ヨーロッパが生み出し、ヨーロッパを形作ってきたものは量的な拡大に伴って各々が分化、自律した。その結果、文明は全体性を喪失し、人間不在の自動機械と化していく。 吉田はそれを「観念への奉仕」であるともいう。民主主義というもの、進歩というもの、真理というもの、・・・あらゆるものが抽象にすがって事足れりとし、神ですら一個の観念となる。文学では「自己」という観念に取り憑かれた浪漫主義がもてはやされる。生きた人間を見ずに「言葉」を忘れた結果である。世紀末が頽廃と映ったのはこうした社会への反逆であり異議申し立てであったからだ。だがそれは「観念」を拒否して「言葉」を取り戻そうとする試みであり、失われた人間性の回復を企図するものだった。 本書が名著であることは間違いないが、難点は読みにくいことだ。思想とは「考えた挙句」よりも「考えること自体」を指すという自身の立場を文体において実践したのかも知れないが、まともに推敲した跡がみられない。さすがにこの悪文を味わい深いなどと有り難がる趣味は評者にはない。行きつ戻りつ繰り返し読まなければ何が言いたいかさっぱり分からないと覚悟した方がいい。勿論それだけ骨を折ってでも読み通す価値はある。
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ヨーロッパの成り立ちを、近代文学、芸術、哲学に着目して分析したもの。国や民族、制度主体ではなく、精神的支柱の切り口で分析していて新しい切り口というか、味方ができる。やはり、文学とか文字、芸術は、その地域の成り立ちを説明する材料としてかなり有効。というわけで、日本のことを考えてみる...
ヨーロッパの成り立ちを、近代文学、芸術、哲学に着目して分析したもの。国や民族、制度主体ではなく、精神的支柱の切り口で分析していて新しい切り口というか、味方ができる。やはり、文学とか文字、芸術は、その地域の成り立ちを説明する材料としてかなり有効。というわけで、日本のことを考えてみる。
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現代世界において「ヨーロッパ」なるものとの対峙抜きには、現代批評は一切成立しない。その意味で、ヨーロッパの性格を理解することは必要不可欠である。 その意味で「ヨーロッパ」というものの性格を端的に鷲掴みできる好著。
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図書館本です。 やはり自分で買って読まないとだめと思いました。何回か時間をおいて読み返さないとわからない。 気に入ったのは後記の「何か解らないことがあったらそれについて一冊の本を書くといいという格言がある。」というところです。
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日本では哲学は文学と違った一種の特殊な学問であるということになっている。 一般にヨオロッパが最もヨオロッパだった時代が19世紀末であると考えられる。 ギリシャとロオマとユダヤが互いに働きあった結果がヨオロッパであるならば19世紀末のヨオロッパが世紀末に至って再びうヨオロッパになっ...
日本では哲学は文学と違った一種の特殊な学問であるということになっている。 一般にヨオロッパが最もヨオロッパだった時代が19世紀末であると考えられる。 ギリシャとロオマとユダヤが互いに働きあった結果がヨオロッパであるならば19世紀末のヨオロッパが世紀末に至って再びうヨオロッパになったとき、そこには当然ユダヤ、あるいはそれがヨオロッパで取った形であるキリスト教の復活、あるいは更正も見られたのでなければならない。 ヨオロッパの宗教はキリスト教なのである。
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