日本語の源流を求めて の商品レビュー
大野晋氏は『日本語の源流を求めて』(岩波新書,2007)で,またタミル語のことを書いています。「また」と言うのは,ぼくがこの説を初めて聞いてから25年ほどのあいだに,大野氏によるタミル語についての本を数冊読んだからです。だから「また」なのですが,ひとによっては「タミル語ってなに?...
大野晋氏は『日本語の源流を求めて』(岩波新書,2007)で,またタミル語のことを書いています。「また」と言うのは,ぼくがこの説を初めて聞いてから25年ほどのあいだに,大野氏によるタミル語についての本を数冊読んだからです。だから「また」なのですが,ひとによっては「タミル語ってなに?」とか「タミル・タイガーと関係あるの?」という疑問をお持ちかもしれません。簡単にまとめておきます。大野氏によれば, 1. 紀元前10世紀以前に西日本で話されていた言語は,アウストロネシア語族のものであったと推測される。一方,同時期の東日本で話されていた言語は,アイヌ語であったと推測される。 2. 紀元前10世紀ころ,北九州および朝鮮に,南インドのタミル語を話す人々が交易目的でやって来た。タミル語は,ドラヴィダ語族の言語であり,印欧語族でない。 (a) タミル語を話す人々は,真珠を手に入れるために東アジアにやって来たと推測される。 (b) タミル語を話す人々は,北九州に住んでいた人々に,稲作や鉄器,機織や祭祀の行事を伝えた。 (c) その結果,北九州を中心に西日本で話される言語は,アウストロネシア語族の言語を基層としてタミル語を受容した,クレオール語になった。 いままとめてみても,「コメはインド由来なのか?」とか,「そんな早くから鉄器があったのなら,そのあとに青銅器時代がやって来たのはなぜ?」といった疑問が湧いてきます。大野氏がこの説を発表しはじめた当初など,その学説がそもそも奇想天外であるうえに,大野氏の比較言語学上の方法が混乱していたこともあって,トンデモ説のような扱いを受けることがありました。なんで南インドの言語がはるか昔に日本に伝わっていて,しかも両者のあいだにその中間形態の言語が見られないのか。現在でこそ大野氏は,上記のようにタミル人の交易活動が両者の出会いをもたらしたと推測していますが,当初は原因不明であるとしていました。また,大野氏は現在,「語頭の子音+母音+子音」を分析の対象としたうえで,タミル語と日本語とのあいだの音韻対応表を作成しています。しかし,当初は目に付いた語をなかば無秩序に比較していたため,正統な印欧語学者である風間喜代三氏によって厳しい批判を受けました。その後,大野氏の方法は改善されましたが,それでもいまなお大野氏は,日本語での文献上の初出が中世や近世であるような語についてまでタミル語の語との比較を行っていることがあり,ある種のだらしなさを払拭していないという印象があります。 まあしかし,そんなことはどうだってかまいません。はるか三千年前にタミル語の語彙が日本に伝わったという事実は大いにありえただろうとぼくは思いますが,結局のところ,大野氏の学説を評価する役目は将来の世代に委ねられることでしょう。大野氏は本書のp19に記しています: ■■■■■ たまたまある日,心に残る古典学者は,と思ったことがあった。藤原定家,契沖,本居宣長の三人の名が浮かんだ。橋本進吉も加えたい。 ■■■■■ 橋本進吉を加えているのは,大野氏が彼の弟子だからですが,藤原定家,契沖,本居宣長の名が挙げられていることについて異論をはさむひとはめったにいないだろうと思います。言語を扱うひとについての評価は数百年くらい経たないと決められないということが経験則から言えるとぼくは思っています。 余談ながら,大野氏はタミル語の古典を読む過程で,タミル語にも日本語と同じ係り結びがあったことを発見しています。大野氏にとってその発見は,タミル語と日本語とが関係あることを裏づける証拠のひとつとなりました。しかし他方でインド人にしてみれば,数千年間インド人が気づかなかった言語現象を,ふらりとやって来た日本人に発見されて,インド人もびっくりだったことでしょう。ということは,日本語における係り結びの法則を発見した本居宣長の名が,21世紀になってインド古典学者のあいだで広く知られるようになるかもしれません。気の長い話です。
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タミル語と日本語が多数の対応する単語を持つ(タミル・日本・朝鮮と、タミル・朝鮮も)ということなどから、稲作も鉄も機織もAD300年ぐらいまでにタミルからの船が朝鮮南部、北九州やってきて伝えたとしている(来たのは日本の真珠を求めてだという仮説をたてている)。よく説得力があり、また、...
タミル語と日本語が多数の対応する単語を持つ(タミル・日本・朝鮮と、タミル・朝鮮も)ということなどから、稲作も鉄も機織もAD300年ぐらいまでにタミルからの船が朝鮮南部、北九州やってきて伝えたとしている(来たのは日本の真珠を求めてだという仮説をたてている)。よく説得力があり、また、チマチマしたことを積み重ねてダイナミックに論を展開するという手際が素晴らしかった。
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