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2009/10/07

 「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった1956年、日本がブラジルに技術協力する形で彼の国に製鉄所を建設することになったという。著者の阿南氏はその製鉄所「ウジミナス」の建設が進み創業を開始する1961年から64年という時期に現地に派遣されていた方であり、その怒濤の日々を思い起...

 「もはや戦後ではない」と経済白書がうたった1956年、日本がブラジルに技術協力する形で彼の国に製鉄所を建設することになったという。著者の阿南氏はその製鉄所「ウジミナス」の建設が進み創業を開始する1961年から64年という時期に現地に派遣されていた方であり、その怒濤の日々を思い起こして綴った随想である。  地球上で日本から最も遠い場所であるだけでなく、未開の地を開拓しながらの巨大工場建設で、しかも当時のブラジルは政情不安で赴任中に革命や流血の争議が起こったり、付け焼き刃でポルトガル語を勉強しながら技術指導をするという、まさに波乱のプロジェクト。  淡々とつづられるエピソードから伝わってくるのは、苦しさを補って余りある充実感だ。実体験として戦争を覚えている世代だからかもしれないが、時には命の危険すら感じながらの難事業を懐かしむことができるのは実に頭が下がる。  著者は1956年に東大法学部を卒業して当時の八幡製鉄(現在の新日鉄)に入社し、28歳でブラジルに派遣され、現地で30歳の誕生日を迎えている。  この時代の東大法学部卒はエリート中のエリートであり、その後は新日鉄の取締役まで昇進したような人なのだから、今の私と比較できるものでもない。しかし当時の彼が一人の若者だったことは確かであり、自分とは別次元の話として距離を置くよりは、見習ってそのくらいのことを成し遂げたいと発起するのが正しい読み方だろう。

Posted byブクログ