Story A の商品レビュー
天才アラーキーこと荒木経惟は、表現過剰な芸術家だ。 だが、他人の眼から見たアラーキーを冷静に表現した人物評は意外に少ないと思う。四百冊を超える写真集と著作をはじめとし、過剰なまでに発信される個性に、常人ならば幻惑されてしまう。だから、当人を冷静に見据えることは普通は不可能...
天才アラーキーこと荒木経惟は、表現過剰な芸術家だ。 だが、他人の眼から見たアラーキーを冷静に表現した人物評は意外に少ないと思う。四百冊を超える写真集と著作をはじめとし、過剰なまでに発信される個性に、常人ならば幻惑されてしまう。だから、当人を冷静に見据えることは普通は不可能だといえる。 本書の著者和多田氏は、「素人写真家」にして「日本聞き書き学会理事」だという。その略歴の示すとおり、全国を疾走する天才に伴走者として、観察者として、そして深い理解者として付き従うに最適の人物であったようだ。最良の語りべを得て、アラーキーの実相は初めて本書で浮き彫りにされたと言ってよい。 著者のスタンスの優れた点は、「私の」という視点が明確すぎるほど明確なことだ。一番好きな写真集は『愛の花』だ。なにしろ写真のすべてが写っている。といった具合に、きっぱり言い切っている。この「私」からの視点が明確であって初めて、見る人を幻惑しないではいられぬ天才のオーラの下から、衣も生身の体も初めて見抜くことが出来たのだと思う。 著者は、荒木の生まれ故郷「東京の三ノ輪」へのこだわりから、「下町」台東区生まれであったという鍵を発見する。その鍵が、『東京日記』、『東京日和』、『東京人生』など一連の「東京モノ」の写真集が生まれた深層に鋭く迫っている。 更には荒木が東京の中に見出した「下町性」と、社会の中に見出した「世間」とを、これまた側面から写し止めている。見事な「素人写家」ぶりである。 荒木の撮影現場を横から写すのを、「横撮させてやるよ」とアラーキー自身が言ってくれてる場面がある。吉本隆明が「雑食性や全方位性」といみじくも表現した荒木の雑多性の全てを、著者は「横取り」してしまったかのようだ。 著者は、あるときは伴走者として「人妻エロス」の撮影現場を「横撮り」し、またあるときは、荒木の過去の足取りを辿り、柳川では『センチメンタルな旅』の真髄をかつての荒木とともに追体験する。 故郷があり、東京があり、東京の中の下町が、社会の中に世間が、エロスが、センチメンタルが、そして若者文化の最先端の街下北沢のなかにさえ「故郷東京の下町」性を発見している荒木を発見する。 『Story A』、ここには、荒木の全てがある。 実は私は、80年代に荒木経惟その人と少なからぬ接点・因縁を持っている。だが今回はいつものレビューのように、私の「私」を書き込むことは遠慮することにする。著者の明確な「私の」視点に最大の敬意を払うために。 和多田氏がつぎに見るのは何か、今はそれが楽しみである。
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