有坂銃 日露戦争の本当の勝因 の商品レビュー
副題に「日露戦争の本当の勝因」とある。筆者は日露戦争の勝因を当時陸軍で正式に採用されていた「有坂銃」に求め、その性能と開発者である有坂成章の生涯を追っていく。明治時代、陸軍の基本的な作戦単位は「歩兵師団」(または旅団)だった。歩兵師団が戦場に持ち出して使う火器は、主に、野砲と歩兵...
副題に「日露戦争の本当の勝因」とある。筆者は日露戦争の勝因を当時陸軍で正式に採用されていた「有坂銃」に求め、その性能と開発者である有坂成章の生涯を追っていく。明治時代、陸軍の基本的な作戦単位は「歩兵師団」(または旅団)だった。歩兵師団が戦場に持ち出して使う火器は、主に、野砲と歩兵銃である。日本軍でもロシア軍でも、これには変わりはなかった。ここにひとりのテクノクラートが登場する。有坂成章である。有坂は有坂砲と有坂銃と呼ばれる武器を開発し陸軍に正式採用されるが、その性能は有坂砲と呼ばれる野砲は命中率が悪く、発射速度が遅かった。弾の射程はロシア軍より1000mも短くそれ以遠では不発がちで、うまく敵のところで破裂しても威力が弱かった。期待された塹壕を破壊する力も、黄色薬600gでは、せいぜい40センチほどの深さの漏斗口がえぐれるだけであった。さんざんだった有坂砲だが、ならばなぜ満州の野戦で勝つことができたのかというと、有坂が野砲の開発の合間にたった三ヶ月で図面を引いた有坂銃(正式名称は三十年式歩兵銃)の性能がロシア兵が手にした1891年式歩兵銃を命中率の点で圧倒したからに他ならない。筆者にいわせれば日露戦争は有坂砲や二十八センチ砲で勝ったのではなく、有坂銃の6.5ミリ小銃弾の低伸性能と省資源性とによって辛うじて持ちこたえられた戦だったーという。2つの師団主兵器ーひとつは日本国を破滅の淵際に立たせ、ひとつは日本国を文字通り救ったーを設計したのがともに有坂成章という一人の陸軍人であったとすれば実に興味深い話である。詳細→ https://takeshi3017.chu.jp/file10/naiyou29904.html
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