夜明けの縁をさ迷う人々 の商品レビュー
9編からなる短編集。 『教授宅の留守番』が好きかな。 表題の絵も楽しめたし、ささやかな狂気を感じる物語が多かった。
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ゾーッとする短編集。 『教授宅の留守番』が1番ゾゾーっとした。 教授に凄い入れ込んでいると思ったらそういうこと。
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フィクションとリアルの間のファンタジーな短編集。 著者の作品は「ことり」しか読んでなかったので、イメージの違いに少し戸惑った。しかし、日本語の美しさと、文字列にネットリと染み付いた悲しみと憂いの空気感はさすが。秀逸。
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死の匂いが濃厚な短編集。小川さんの小説の風変わりな登場人物たちはどんな世界でもちゃんと居場所がある。多少人と違ってもそれは意外とひっそりとした差異で受け止めてくれる人もちゃんと何処かに居るのかもしれない。
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だいぶきつかった。ページが終わっても話が続いてる感じがすごくて、え、続きは…?みたいな。自分の中で終わることができないからか、もやもやしてしまって。あと表現がすごくて、ぞわぞわしてた。合わないのかなぁ…。
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単なる名詞の羅列でさえ美しく感じるような、儚くて詩的な文章が◎部屋の隅っこで、誰にも邪魔されず、ひっそりと読みたい作品。
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漠とした不安や茫洋とした残酷さ、という形容が既読の小川作品にはハマってるのじゃないかしら!と思ってる私には、珍しくちょっぴり物足りなかったかも(°_°) うーん、表現に正確を期すと、「小川作品には求めない露骨さ」が今作には過分にあったので、物足りないというより、寧ろ「消化不良」な感じでしょうか。 小川作品は手の内を全て見せずに読者の想像に委ねるイメージがあるし、その書き込まないスマートさが魅力だとも思うのですが、今作のラスト数行で説明調に入ってしまった数編はちょーっと白けてしまいました。 ……色々言っても、結局好きなんですがね……( ^ω^ )← ◉レフト側のグランドでいつも逆立ちをしている曲芸師(曲芸と野球)。 ◉教授宅の留守を預かり、祝電を延々と受け取り続けるD子(教授宅の留守番)。 ◉生涯を小さなエレベーターの中で過ごしたイービー(イービーのかなわぬ望み)。 ◉物件が求める住人を探し出す不動産業者(お探しの物件)。 ◉涙を楽器にすり込むことで音色を良くする能力を持つ少女(涙売り)。 ◉私の裏側の世界を共有するおじいちゃん(パラソルチョコレート)。 ◉肉欲を追求し続けた作家の孫を名乗る老婆の足を指圧し続ける私(ラ・ヴェール嬢)。 ◉別荘を探し求めた女流作家と秘書が行き着いた、奇妙な小屋(銀山の狩猟小屋)。 ◉76年ぶりに甲子園出場という快挙を遂げた高校の、終わらない決勝戦と、終わらない私の一途な声援(再試合)。
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うーん、独特ですね。 「美しい」とは表現しがたい生々しさがあるのに、 どことなくファンタジックな物語たち。 比喩表現がかなり特殊で、感情を言葉で言わせたり心情を吐露させる代わりにそこで表現しているのかな。 ハマる人はハマるのかな。 いまはちょっとこれを読みたい気分じゃなかった、ということで。
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夜眠る前にひとつずつ。 「再試合」が、印象的。 おそろしいような、果てしないような、切ないようで。
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とても久しぶりの小川洋子。わたしは中学時代、このひとの書くものが好きで好きでほとんど読破したのですが、どうして好きなのかということについてあまり自覚的ではなく、深化を遂げていく小川文学に馴染めなさを感じ、長い間離れていました。静謐な世界観、美しい文章、奇妙だけどしっくりくる比喩、...
とても久しぶりの小川洋子。わたしは中学時代、このひとの書くものが好きで好きでほとんど読破したのですが、どうして好きなのかということについてあまり自覚的ではなく、深化を遂げていく小川文学に馴染めなさを感じ、長い間離れていました。静謐な世界観、美しい文章、奇妙だけどしっくりくる比喩、あのころはわたしは小川文学のそういうところが好きなのだと思っていた。けど、それは一部分で、今振り返ればおそらく当時のわたしにとって本当に切実だったものが小川文学にあったからあんなに読んでいたのだとおもう。小川文学の大きな特徴である、世界の隅っこに打ち捨てられているようなものに対する眼差し、無垢なものが傷つけられることを怒りではなく掬い取り描くそのスタイル。いろんなものにうまく馴染めず孤独と寂寥感に苛まれ、無垢な子供時代から思春期に突入していったあのころのわたしにとって、小川文学は本当にかけがえのないものだった。当時のいろんなことが蘇ってきて、ふるえながら大事に大事に読みました。 小川文学には、ふつうとすこしちがう、奇妙だけど無垢なひとやものが出てくる。初期はホラーテイストで、中期はそれらが残酷に打ち捨てられてしまう情景が仔細に描かれるようになり、中学時代のわたしはここまでがとても好きだった。その後、打ち捨てられてしまうだけではなく、でも下手で決定的な救済でもなく、ほんとうにすこしだけ掬い取るようなものになって、当時のわたしは離れてしまったのだけど、今ならわかる。紛れもなく小川洋子の文学は深化を目指していて、まだ過渡期かもしれないけれど違う場所に向かっていて、あるゆるものでいっぱいいっぱいだった中学時代のわたしには届かなかったけど、今のわたしはそんな小川文学を見届けたいとおもっていて、ようやく追いつけたのだと。ほんとうに、世界の淵から零れ落ちてしまいそうなひとに向かって小川洋子は静かに、でも確実に手を差し伸べているし、もうただいま、ありがとう、という想いでいっぱいになった。もう一度きちんと出会えて良かった。ありがとう。
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