藤原義江 の商品レビュー
少し前に「私の履歴書」を読んでいたが、自伝もあるのが分かり読んでみた。「私の履歴書」は山田耕作の次に収録されていていてたまたま読んだら、その出自や少年時代、さらにオペラ修行まで山田耕作以上の波乱万丈だった。「私の履歴書」は昭和32年6月連載の全18回で59歳の時。この自伝は昭和4...
少し前に「私の履歴書」を読んでいたが、自伝もあるのが分かり読んでみた。「私の履歴書」は山田耕作の次に収録されていていてたまたま読んだら、その出自や少年時代、さらにオペラ修行まで山田耕作以上の波乱万丈だった。「私の履歴書」は昭和32年6月連載の全18回で59歳の時。この自伝は昭和49年刊行で76歳の時。その2年後には亡くなっている。 「私の履歴書」よりは特に女性関係など詳しく書いてある。字間からは、眼の前に惹かれる女性がいると付き合ってしまう、しかし二股三股かけるとかそういうのではなく、いわば本能で相手の女性に対してはその時は純粋なのだ、という雰囲気が匂ってくる。表紙のものすごい美男子の顔を見ると、もてるのはあたりまえかもと思ってしまう。他に2枚写真があるがスタイルもよい。少年時代、心ひかれたオペラと、そして心ひかれた女性たち、そして後援者たち、それらに囲まれ精力的に生きた人だったんだなあ、という気がする。 父はイギリス人、父方祖母はスペイン人の血を引いている。それでヨーロッパに行った時、スペイン人の犯罪者の指定手配写真に瓜二つで警察に拘留されかかった時があると書いてあった。 「蝶々夫人」が外国人がやると、セットは中国や東南アジア風、蝶々夫人も日本人的ではない、と思い、ぜひ日本人の手で上演したい、と思ったのも藤原歌劇団設立の一つの理由のようだが、かつてチェコで「トスカ」に出演した時、藤原氏はイタリア語で、プリマドンナ役はスラビック語、敵役はドイツ語歌ったが、ちっとも耳障りではなかった。それはやはり青い眼同市の言葉だからかなと思ったとある。言葉の問題は外国物を上演する限りまだまだ解決のつかない難問だと書いている。芸者は吉原が出てくるのでない物語を誰かオペラにしてくれる日を待っていると書いている。 底本は「流転は七十五年 オペラと恋の半生」(主婦の友社1974刊) 「歌に生き恋に生き」(文芸春秋社1967刊)を前に出したが、そこでは思い違いなどもあったり、ある人には迷惑になる言葉も書いてしまったとある。 1998.8.25第一刷 日本図書センター 図書館
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