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古関裕而 の商品レビュー

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2020/06/07

古関裕而氏の自伝「鐘よ鳴り響け」(1980刊 主婦の友社)を読むことができた。日本図書センターが著名人の自伝を再収録した「人間の記録」シリーズ第18巻に収められている。 この自伝は作品を作曲した時のいきさつを中心に書いてある。先に評伝2冊を読んでいたので、時系列的な事は知ってい...

古関裕而氏の自伝「鐘よ鳴り響け」(1980刊 主婦の友社)を読むことができた。日本図書センターが著名人の自伝を再収録した「人間の記録」シリーズ第18巻に収められている。 この自伝は作品を作曲した時のいきさつを中心に書いてある。先に評伝2冊を読んでいたので、時系列的な事は知っていたが、作品誕生にまつわる瞬間が活き活きと描かれている。さすが自伝のだいご味だ。 「幻の、いやな歌」として「比島決戦の歌」で西条八十の作詞に曲を付けているが、歌詞が最初「レイテは地獄の三丁目、出てくりゃ地獄へさか落とし」だったのを、軍部の要請で「出てこいニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄にさか落とし」とした、とあり、さらに発表会をするはずが戦況悪化でそういう雰囲気でなくレコードも製造されなかったようである、とあった。ところが2020年5月の日経私の履歴書は岸恵子で4日の分で敗戦時の思いとして、「いざ来いニミッツ、マッカーサー。出てくりゃ、地獄へ逆落とし」と歌っていた日本人はあっけなくマッカーサーになびいた。とあった。岸恵子は当時13歳。ラジオ等で案外流れていたのではないか。 あとがきによると、昭和55年4月、古関氏は70歳になったが、数年前から思い起こせばさまざまなことがあった、としてそれらを書き遺したいという気になり書いたものを、昭和55年になり主婦の友社から刊行した、とあった。もしや聞き書きかなにかかな、などと思ったが自分できちんと書いたものらしい。なかなか文章がうまい。 昭和12年からコンビを組んでいた菊田一夫氏が昭和48年に無くなってからあまり作曲はしなくなったようだが、この自伝の最後には「今や、私にとって音楽は私が楽しむものとしてのみ意味を持ち始めている」と書いていある。その9年後、平成元年8月、氏は亡くなった。 2冊の評伝は曲誕生の瞬間はさらりと流している感じなので、この自伝を合わせて読むと、古関裕而がさらに理解できる。 1997.2.25発行(底本「鐘よ鳴り響け」1980刊 主婦の友社) 2020.6.2図書館

Posted byブクログ