城山三郎が娘に語った戦争 の商品レビュー
著者、井上紀子さん、どのような方かというと、2008年頃の紹介記事には、次のように書かれています。 ---引用開始 1959年、作家・城山三郎(本名・杉浦英一)、杉浦容子の次女として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。学習院大学文学部国文学科卒業後、同大学院進学。同大学院人文科学研究...
著者、井上紀子さん、どのような方かというと、2008年頃の紹介記事には、次のように書かれています。 ---引用開始 1959年、作家・城山三郎(本名・杉浦英一)、杉浦容子の次女として神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。学習院大学文学部国文学科卒業後、同大学院進学。同大学院人文科学研究科(国文学専攻)博士前期課程修了。著書に『城山三郎が娘に語った戦争』(朝日新聞社)。 ---引用終了 で、本作の内容は、次のとおり。 ---引用開始 城山三郎が娘にいい残した、生きていくうえで大事なこと。そして人が最後にしなければならない仕事。 ---引用終了 著者の作品は読んでいないと思っていましたが、過去の自分の記録を見たところ、2008年に本作を読んでいました。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
1959年生まれ、井上紀子「城山三郎が娘に語った戦争」、2007.8発行。父親を思う娘の気持ち、妻を想う夫の気持ちが滲み出てくる作品です。本当に仲の良かったご夫婦であることがよくわかります。容子夫人、平成12年没。城山三郎、平成19年没、79歳。軍歌嫌いなのに、カラオケで軍歌しか歌えない悲しさ。紫綬褒章辞退に気骨が感じられます。
Posted by
「17歳の私は、日本が押され気味だとは感じていたが、負けるとは思っていないし、またそう思ってはならぬことであった。 負けるぐらいなら、一億玉砕。いずれにせよ、一日も早く海軍へと思うばかり。 ところが、たどり着いた先の海軍は、およそ私の予想してきたものではなかった。」 - 氏の...
「17歳の私は、日本が押され気味だとは感じていたが、負けるとは思っていないし、またそう思ってはならぬことであった。 負けるぐらいなら、一億玉砕。いずれにせよ、一日も早く海軍へと思うばかり。 ところが、たどり着いた先の海軍は、およそ私の予想してきたものではなかった。」 - 氏の回想より - 城山氏は娘さんに70歳を過ぎてぽつりぽつりはじめて自分の戦争体験を話したそうだ。 この本は戦争中の話しは少ないけど戦争の理不尽さ むごいことがわかる。 ボクにとっては先に亡くなられた仲の良かった奥さんのこと、子供達や家族の絆、子供達への無言の教育など自分には出来なかったことがとても身にしみた。
Posted by
- 1