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日本の外交 の商品レビュー

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18件のお客様レビュー

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2022/12/02

最近、封建主義社会についての別の本を読んだばかりという所為もあることを認めつつも、この本によく言われる「日本にはイデオロギーがない」という問題、まさに封建主義から脱出できていないのが原因なのではないかと思ってしまった。封建社会は階層が決まっていて、上は自分の立場や地位を守るために...

最近、封建主義社会についての別の本を読んだばかりという所為もあることを認めつつも、この本によく言われる「日本にはイデオロギーがない」という問題、まさに封建主義から脱出できていないのが原因なのではないかと思ってしまった。封建社会は階層が決まっていて、上は自分の立場や地位を守るために頭を働かせることはしても、それ以外のことに積極的に動くことはしない。つまり、思想がない。明治の西洋化で封建社会は確かに解体されたが、しかし人間の思考や習慣はそう簡単に改まるものではなく、それがとどのつまり国際社会という舞台にあがってみて、思想がないから何でもその場凌ぎで、後手に回り、広く物事考えられないからしまいには「多分こうだろ!」と投げやりに動いて自滅する。大東亜共栄圏というイデオロギーまがいのものも結局は追い詰められて危険な道を渡らざるを得なくなった自分達の立場を正当化するためのものでしかなかった。 伊藤整の日本人の思想パターンについての本には、日本人ふくむ東洋人は余計なことに首突っ込まないということを主義としているのに対し、西洋人は積極的に突っ込んでいく、と書いてあったが、それが外交などにも現れている、というか、尾を曳いているというか、そんな気がした。 つまり東洋人はどこまで行ってもやっぱり東洋人なんだなと。 多元的なれ、というのも本書の終わり部分にちょくちょくでてくる警句だが、これについてはプーチンが「二島かえしてやるからそれで手を引け」というのを思い出した。「日本人としては元々四島全部うちのもんなんやから、二島で手を引けとは盗人猛々しい!」と怒りたくなるところだが、プーチンがそれに対して「日本人ってほんまにアホやな」と言った(とか言わないとかいう)のも何となく理解ができる。まさに自分の国の利益しか考えていないというのはこういうことをいうのだなと。勿論、ロシアの真意まではわからないし、ロシアのいうことやることが正しいとは思わないが、いつでも百あったら百とらないと気が済まないということを外交上でやっていては確かに何も得られず終わってしまいかねない。それに振り回されているうちはイデオロギーも思想も糸瓜もクソもない。 気づきが多かった。

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2019/01/06

2012.12記。 1960年代に執筆され、今や基本書となっている本。 「不平等条約の改正」という国家目標を達成した19世紀末から太平洋戦争前後までの日本外交を、「基軸となる思想・目標」はなんだったのか、というアングルから振り返る内容。 これを読むと、いかに日本が欧米との摩擦...

2012.12記。 1960年代に執筆され、今や基本書となっている本。 「不平等条約の改正」という国家目標を達成した19世紀末から太平洋戦争前後までの日本外交を、「基軸となる思想・目標」はなんだったのか、というアングルから振り返る内容。 これを読むと、いかに日本が欧米との摩擦回避に腐心してきたか、そしていかに中国が我が国の経済にとって不可欠の存在であり続けたかが改めて実感される。たえずこの二つを意識して現実的な(言い換えれば打算的で確固たる思想のないとも言いうる)外交を進める当局に対し、確固とした外交哲学を持つという理想を追求したのは当初はむしろ民間の有識者であったという。だがそれも「西洋に対する東洋」といった対立関係を軸にしたものに止まっていた、と著者は主張する。 事実の分析もさることながらその背景にある思潮に紐づけて歴史を論じる、という整理の仕方は非常に興味深かった。

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2015/10/03

ハーヴァード大学で外交史ないし国際関係論を教える著者が、明治から太平洋戦争後までの日本の外交史を概観した本です。 日本が国際社会の舞台に踊り出た19世紀は、西洋諸国が帝国主義的な覇権を競い合っていた時代でした。そのような状況の中に置かれた日本は、国土の安全と貿易の進展をめざし、...

ハーヴァード大学で外交史ないし国際関係論を教える著者が、明治から太平洋戦争後までの日本の外交史を概観した本です。 日本が国際社会の舞台に踊り出た19世紀は、西洋諸国が帝国主義的な覇権を競い合っていた時代でした。そのような状況の中に置かれた日本は、国土の安全と貿易の進展をめざし、軍事・経済両面での国益を追究することになります。著者は、日本の外交の基本的な枠組みはこうした現実的、実際的なものであり続けてきたと言い、西洋諸国のように宗教的、人道主義的、理想主義的な外交理念が存在しなかったと指摘します。日露戦争以後は、西洋と東洋の調和という思想が、ある程度外交の中に入ってきますが、著者によれば、その場合でも世界における日本の位置づけについての不安に基づいていたにすぎず、日本には独自の外交理念が欠けていたと論じています。

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2014/06/08

 扱う時代は明治維新から1960年代までと幅広い。時代ごとに主要国が何を考え、どう行動し、日本政府がどう対応したか、内在的論理が丁寧に説明されている。  例えば、国際連盟の脱退に至る「東洋平和確立の根本方針」、その源流となる石原莞璽の思想が国防という現実主義に基づいている点、先立...

 扱う時代は明治維新から1960年代までと幅広い。時代ごとに主要国が何を考え、どう行動し、日本政府がどう対応したか、内在的論理が丁寧に説明されている。  例えば、国際連盟の脱退に至る「東洋平和確立の根本方針」、その源流となる石原莞璽の思想が国防という現実主義に基づいている点、先立つ幣原の経済主義外交が世界恐慌の影響で力を失ったことなど。  著者は日本の外交に思想がないことを折々に嘆いているが、着実に現実的対応を進めていたことを記してもいる。これは意外な発見だった。日本が外交を通して何を追い求めていたのか、その思想や行動原理を描き出してくれる、興味深い1冊です。

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2014/02/22

明治期から、戦後すぐまでの日本の外交しについて概観した本。時期ごとに、事実とその時の外交当事者が何を考えたのかということについて、まとめられている。 日本外交は一貫した思想が無く、その状況に応じた対応をしてきたということを軸に、著者なりの見解についてまとめられている。わかりやすい...

明治期から、戦後すぐまでの日本の外交しについて概観した本。時期ごとに、事実とその時の外交当事者が何を考えたのかということについて、まとめられている。 日本外交は一貫した思想が無く、その状況に応じた対応をしてきたということを軸に、著者なりの見解についてまとめられている。わかりやすいし、的確だと思う。しかし、残念なのは、日本外交の一貫した思想が一体何かということについては、言葉で触れられている程度で詳しく述べられておらず、そのことから、漠然とした理解しか出来なかった。

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2014/01/01

大学時代に授業で買って積読になっていた本を、10年ぶりくらいに読んでみた。入江さんと言えば、戦後すぐにアメリカのハーヴァードに渡ってずっとアメリカで研究し続けている大歴史学者。その著者が、1960年代の30代半ばで書いた日本外交史。 日露戦争後から朝鮮戦争後までの日本外交について...

大学時代に授業で買って積読になっていた本を、10年ぶりくらいに読んでみた。入江さんと言えば、戦後すぐにアメリカのハーヴァードに渡ってずっとアメリカで研究し続けている大歴史学者。その著者が、1960年代の30代半ばで書いた日本外交史。 日露戦争後から朝鮮戦争後までの日本外交について振り返っているのだが、外交の上で基本的に日本は確固たる思想がなく、その場その場の列強の状況に左右されてきたというお話。日本では、人種、宗教、道徳上の原理で外交が動いたことはほぼなく、もっぱら軍事(防衛)、経済戦略上の状況に応じて動いていた。唯一、思想的に統一したものが出来上がったのが、太平洋戦争においての「大東亜共栄圏」構想だったが、これとて資源確保という経済的大前提があったうえで、アメリカがドイツのソ連侵攻によって想像以上の対日強硬路線をとってしまったという状況からきている。外交上の思想がないというのは、よく持て囃される石原莞爾についても例外ではない、と入江先生は指摘している。最終章では、今後日本は新しい外交思想を作り出していくべきとしている。ここで入江先生が言っているのは、南北問題などが念頭にあるのだろうが、結局、その後の日本外交には新思想など出ることもなかったというのが現実ではなかろうか。安倍政権とて、中国の強硬政策に振り回されて反応しているだけに思えるのは気のせいではない。

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2013/09/26

『日本の外交』の最大のテーマは、政府と民間が持つ外交意識の差異が、実際の外交にどのような影響を与えてきたのか、という問いである。明治維新から現代まで、豊富な資料に基づき解説しておりまさに「日本の外交」を理解するには最適の一冊

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2013/04/23

外交という面から、明治維新から、現代(1960年代)までどのようなことがあったかを歴史的に見る本。 (国内の)政治史も重要だが、外国との接するのは外交である。外交によっては、国外との戦争が起こることにもなる。外交の重要性を歴史的に感じさせた本だった。

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2012/09/22

(1968.06.16読了)(1968.06.07購入) 副題「明治維新から現代まで」 *解説目録より* 変転する国際情勢の中で日本外交の進路を考えようとするとき、いま一度明治以来の道のりをふりかえる必要はないか。日本の外交思潮のパターンである「政府の現実主義」と「民間の理想主義...

(1968.06.16読了)(1968.06.07購入) 副題「明治維新から現代まで」 *解説目録より* 変転する国際情勢の中で日本外交の進路を考えようとするとき、いま一度明治以来の道のりをふりかえる必要はないか。日本の外交思潮のパターンである「政府の現実主義」と「民間の理想主義」とは、日本が日露戦争の勝利によって二十世紀の国際外交の舞台に躍りだすまでにできあがっていたが、大陸への野心から太平洋戦争へ、そして敗戦から日米安保体制下の今日にいたるまで、百年の尺度で日本の近代外交の思潮をかえりみるとき、そこにどのような歴史の教訓を引き出すことができるだろうか。長期の展望にたって、今日の外交への指針を示そうとする。 ☆関連図書(既読) 「条約改正」井上清著、岩波新書、1955.05.20

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2012/04/08

日露戦争までは統一的な外交戦略があったが、日露戦争後は、グローバル化する経済政策、中国における民族主義の高揚等、外交に置いて考慮すべきファクターが複雑化する一方、国内体制(軍部にしても官僚にしても)は硬直化し、日露戦争以前のような柔軟な対応できなくなった。 太平洋戦争に進んでい...

日露戦争までは統一的な外交戦略があったが、日露戦争後は、グローバル化する経済政策、中国における民族主義の高揚等、外交に置いて考慮すべきファクターが複雑化する一方、国内体制(軍部にしても官僚にしても)は硬直化し、日露戦争以前のような柔軟な対応できなくなった。 太平洋戦争に進んでいく外交の失敗の要因分析にも触れられているのだが、経済政策と国家戦略について平仄を取っていくことが肝であるのではないか。当時、既に経済、貿易面でパートナーであったアメリカとの対立がなぜ起こったのか、現在に置き換えたときに、それが中国にあたるのではないか。1966年初版ではあるが、現在の外交課題を考える上での示唆する歴史的な事実が整理されている。 以下引用~ ・日本自体が朝鮮へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにする。これが「朝鮮独立」を目指した明治前半期の外交方針だった。 ・松方財政のねらうところは日本の輸出振興、輸入抑制であり、そのためにもますます関税自主権を回復することが肝要になってくる。このように、日本の外交政策は国策のすべての点と結びついていたのである。 ・日露戦争当時、およびその直後の日本外交の指導理念は、いぜんとして従来どおりの、帝国主義外交ということであった。つまり、諸列強の意向に注意を払い、できるだけ欧米諸国と協調を保ちながら、日本の地位を維持し、権益を発展させようとする考えてあり、その根底には、先進諸国のあいだに、ある種の均衡状態が保たれ、日本もその枠組みに入ることが、みずからの安全と利益を守る道だという考えがあった。 ・小村(寿太郎)は陸軍がともすれば外国の意向を無視して満州発展をはかることには反対であったが、大陸進出そのものは「確定不動の方針」と心得ており・・・。 ・(辛亥革命)このような政策の根底に、国際関係は帝国主義諸国家間の関係だとし、中国そのものは外交の関心外だとする思想があったことは明らかである。したがって、中国のナショナリズムにたいしても確固たる方針を立てることを怠り、清朝政府内の動きや革命党の運動などについても、十分な対策を講ずることがなかった。 ・(日露戦争後数年間の日本外交)条約改正とか朝鮮問題の解決とかいう具体的な目標が消え、しかも中国のナショナリズムとかアメリカの人種偏見とかいう要素が、新しい問題を提起していたので、このような事態にあたって、現実的な外交理念をかかげて国論の統一をはかることは至難のわざであった。 ・(第一次)世界大戦中に、日本の対米輸出は四倍にふえ、アメリカからの輸入も五倍化した。それまで主としてイギリスにあおいでいた資本を、日本産業が次第にアメリカに求めるようになったのもこのころからであった。このような状態にあって、日本経済の発展が、アメリカとの友好関係を維持する必要があるとされるのである。 ・アメリカと日本の密接な経済関係が、日本にとって最も重大だと考えていたのは政友会の原敬や、外務省内の幣原喜重郎なのであった。 ・日露戦争までは日本の軍事政策と経済政策のあいだには深刻な対立がなく、両者とも日本の近代化とか帝国主義国化とかを目指す根本外交理念の表れとして、表裏一体をなしていたものであった。それが日露戦争後は、この根本に横たわるべき思想に混乱を生じ、東西の協調あるいは対立といった抽象観念にわざわいされたのである。 ・(弊原の)このような経済主義が1929年、アメリカに始まる世界恐慌によって非現実的なものとなるにおよんで、かれの国際協調主義も急速に色あせ、だれの目にも夢想的なものとしか見えなくなってしまうのである。 ・世界恐慌の波は各国の経済政策を自己中心的なものとし、中国における国権回復運動の激化とあいまって、日本の外交の基盤を切り崩してしまった。

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