どん底 の商品レビュー
この作品は劇作品です。しかもこの解説に述べられているようにチェーホフと同じくわかりやすい筋もありません。そのため本としてこれを読んでもなかなかその流れを掴むのが難しいです。私も一度読んだだけではわからず、何度も読み返しました。 この作品もチェーホフと同じく、演劇として舞台で観ると...
この作品は劇作品です。しかもこの解説に述べられているようにチェーホフと同じくわかりやすい筋もありません。そのため本としてこれを読んでもなかなかその流れを掴むのが難しいです。私も一度読んだだけではわからず、何度も読み返しました。 この作品もチェーホフと同じく、演劇として舞台で観るときっとものすごいインパクトがあるのだと思います。 この作品はかなりパワーがあります。チェーホフは静かな雰囲気の劇ですが、ゴーリキーはどん底にいる人たちの魂の叫びを表現します。言葉のパワーがものすごいです。本で読むだけでこれですから舞台で聞いたらこれはものすごいものなのではないでしょうか。
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社会の「どん底」を舞台化しただけの群像劇。ゴーリキがルカにさせたかったことを何と想像するかで印象が変わる気がする。ただの優しく寄り添うだけだったのか、甘言を弄したのか、立ち上がりを促したのか。だけど終わってみると結局はどん底がこれからも続くのだ。誰も努力をしているようには見えない...
社会の「どん底」を舞台化しただけの群像劇。ゴーリキがルカにさせたかったことを何と想像するかで印象が変わる気がする。ただの優しく寄り添うだけだったのか、甘言を弄したのか、立ち上がりを促したのか。だけど終わってみると結局はどん底がこれからも続くのだ。誰も努力をしているようには見えないとはいえ、何とも無残な印象で締めくくられる。唯一ナターシャだけが行く知らずで、どん底から這い上がった可能性を想像することが可能と言えるかも。たぶん別のどん底で暮らしているのだろうけど。
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終盤に物語の展開は頂点を迎える。しかし、注目すべきはそこではない。この物語が初めから終わりまで全く進展してないことにある。物語が終わった時、何が変わったか。何も変わっていない。どん底にいる人がどん底にいる人を殺し、どん底にいる人がどん底にいる人を罵り、喧嘩をする。すべてどん底の中...
終盤に物語の展開は頂点を迎える。しかし、注目すべきはそこではない。この物語が初めから終わりまで全く進展してないことにある。物語が終わった時、何が変わったか。何も変わっていない。どん底にいる人がどん底にいる人を殺し、どん底にいる人がどん底にいる人を罵り、喧嘩をする。すべてどん底の中で起こった話であり、現状が良くなりもせず、悪化もしないというこの事実事態が「どん底」なのだ。 事態が収まると、亡くなった爺さんがかつて遺したセリフが語られる。 「生きているものは、みんなより良き者のために生きてるんだよ!だからこそ、どんな人間でも、尊敬しなけりゃならんのさ」 なるほど、いい教訓にも見えなくもない。しかし、これは我々読者に伝えたい教訓というより、このセリフの後に、結局はみなお互いを罵り合い、尊敬できずにいるどん底の現状を引き立てている。 登場人物の中に、「だったん人」が出てきて、イーゴリ公の中にある「だったん人の踊り」のあれか、となって、ちょっと嬉しかった。
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ある木賃宿に集まった人々の会話劇。社会の底辺で必死に生きる彼らを生々しい筆致で描く、ゴーリキイの不朽の名作。 あまりにも厳しい現実に「なんで、そうまでして生きなければならないのか」と考えてしまう。 皆、絶望の淵におり、浮き上がることもなく、彷徨い続けるしかない。搾取され、虐げ...
ある木賃宿に集まった人々の会話劇。社会の底辺で必死に生きる彼らを生々しい筆致で描く、ゴーリキイの不朽の名作。 あまりにも厳しい現実に「なんで、そうまでして生きなければならないのか」と考えてしまう。 皆、絶望の淵におり、浮き上がることもなく、彷徨い続けるしかない。搾取され、虐げられ、まともに人間扱いされず…「どん底」です。
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いや戯曲か~~~い 古本屋の投げ売りコーナーみたいなところで、めちゃくちゃに面白そうなタイトルとカバーのない本にひかれて中身も見ずに買ったけど台本でびっくりしちゃった 読み終わったになるのはずいぶん先になりそうだけど有名な戯曲らしいのでまずは舞台から見に行きたい てか初めて戯曲...
いや戯曲か~~~い 古本屋の投げ売りコーナーみたいなところで、めちゃくちゃに面白そうなタイトルとカバーのない本にひかれて中身も見ずに買ったけど台本でびっくりしちゃった 読み終わったになるのはずいぶん先になりそうだけど有名な戯曲らしいのでまずは舞台から見に行きたい てか初めて戯曲の本見たな
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戯曲なので、ごちゃごちゃしていてスジがわかりにくいが、とりあえずルカの話だけ聞いてればいいやと思ってからはわりとスイスイ読めた。
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内容を咀嚼できていない。どん底から出るために働かなきゃいけないけど死ぬ。どうしよう。 戯曲の読み方が下手でなかなか読み進めなかったのだが、音読すると読みやすかった。黙読では会話のみで登場人物の区別がつきづらかいのが、自分で演じることでキャラになりきるので入りやすかった。目が頭よ...
内容を咀嚼できていない。どん底から出るために働かなきゃいけないけど死ぬ。どうしよう。 戯曲の読み方が下手でなかなか読み進めなかったのだが、音読すると読みやすかった。黙読では会話のみで登場人物の区別がつきづらかいのが、自分で演じることでキャラになりきるので入りやすかった。目が頭より先にいかないように読めるようにしなければならないのだが、台詞だけだとうまくブレーキがきかない。
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原書名:На дне 著者:マクシム・ゴーリキー(Gorky, Maksim, 1868-1936、作家、ロシア) 訳者:中村白葉(1890-1974、神戸市、ロシア文学)
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有名な戯曲、これまで読んでなかったので読んでみました。なるほど。でも、ちょっと訳が古いのと、独特ですね。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
1902年作、四幕の脚本。キャストは17名。傑作。物語の舞台はコストイリョフとワシリーサがやっている木賃宿である。基本的に男はウォッカを飲みカードで博打をし、女はののしり、ののしられ、浮気をしている。全編、野良犬、悪魔、嘘つき、クソ、馬鹿野郎、ウスノロ、毒虫などの罵倒語がたくさんある。「バチあたりのマホメット教徒」というのもあった。なぜか「ジブラルタール」が「そりゃすげえ」の意味でつかわれている。物語の軸は、ワシリーサが亭主を殺して欲しいと、「生まれついての泥棒」で情夫のペーペルに依頼する話である。しかし、ペーペルはワシリーサに飽きていて、その妹ナターシャに乗り換えようとしている。一幕でふらりとやってくるのが巡礼のルカで、ワシリーサとペーペルの密談を立ち聞きし、ペーペルに亭主を殺すのはやめて、ナターシャとシベリアへ駆け落ちするようにすすめる。ペーペルはナターシャに愛を告白して、「これでも読み書きができるから、まっとうに生きる」と誓うが、ナターシャは疑いを拭い去ることができない。宿の亭主が女中のようにこき使ったナターシャをなぐり、熱湯をかけて不具にすると、ペーペルは亭主を殴り殺すが、殺害後、ワシリーサがそそのかしたと言いわけしてしまう。これを聞いたナターシャはペーペルとワシリーサがグルになって自分を欺いたと思い、警察に二人を引き渡し、どこかにすがたを消す。また、錠前屋とその女房アンナもでてくる。アンナは長患いで、錠前屋が酔いどれている間に死亡、ルカに死ねば休めると慰められるが、死後に何もないと聞かされると、夫にこき使われ、人より余分に食べやしないかと気にしてばかりいた不幸な人生にもかかわらず、もう少し生きたいともらす。ワシリーサにまだ死なないのかと言われ、ほかの連中にも咳がうるさいだの言われ、「せめて死ぬときくらい静かに死なせてくれ」といっていた。アル中の役者もでてくるが、ルカから無料でアル中を治療してくれる病院があると聞き、人生をやり直そうとその病院にいくため働きだすが、みんなに希望を嘲笑され、最後に首を括って死ぬ。零落した男爵も特徴的な人物だが、飲んだくれて、いい気分だったのに、役者の死で気分を台無しにされたと毒づく。これで幕切れである。ナターリアと言う女性はロマンス小説に逃避していて、ロマンスを現実にあった話のように語り、みなに嘲笑されている。男爵には飲み代をたかられ、バカにされている。ルカは登場人物を励まし、優しくし、人の道を説くが、第三幕でふらりとでていく。とにかく救いのない芝居で、登場人物はすべて絶望し皮肉屋だが、たがいを貶めることには情熱を傾け、このために人間のあるべき姿とか、良心とか、真実とかを引き合いにだし、不思議に高尚な話題で罵倒し合う。錠前屋が女房をなくした後のセリフが印象的だった。 「真実とは何だ。どこにあるんだ。これが真実だ。仕事がねえ!力がねえ!これが真実だ!身の置き場、身の置き場がねえ!のたれ死でもするしかねえ、これが真実だ!悪魔め!そんなものがおれにとってなんになる。そんな真実がよ!それより、すこし息をつかせてくれ。休ませてくれ!いったい、おれになんの罪があるんだ!なんのためにおれにこんな真実がいるんだ?」
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