般若心経・金剛般若経 の商品レビュー
大乗仏教の真髄「般若…
大乗仏教の真髄「般若心経」と、少しマイナーな「金剛般若経」の全訳です。読解のための解説は乏しいので、本書だけでは経典の意味を理解するのは少し難しいかもしれません。ただ薄くて軽いので携帯するには向いてます。
文庫OFF
2種のお経の本文と現代語訳が書いてあるだけなので、これだけで素人が正確に意味を理解するのは難しいのかもしれませんが、豊富な注釈があるので丹念に読めばそれなりに頭に入ってきます。 般若心経の一部をつい忘れたときにすぐに参照するのにも便利です。
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中村元先生の講義と併せて原典を読む。般若心経は短く親しみがあるが、金剛般若経は難解。繰り返し何事にも囚われてはならない、執着がある時点で悟りには程遠いということが書かれているように朧げながら感じるが、一つ一つの言葉は理解できていない。
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なんとなしに¥108だったから…だれかれとなく、仏教というものに触れてみたい、そんな気がしたからだった気がする。 お題目のように唱えられたり、写経されているこの般若心経。それを無駄とは言わないが、この般若心経は一種仏陀という男の境地であるから、実践以上のなにものからも、その境地は...
なんとなしに¥108だったから…だれかれとなく、仏教というものに触れてみたい、そんな気がしたからだった気がする。 お題目のように唱えられたり、写経されているこの般若心経。それを無駄とは言わないが、この般若心経は一種仏陀という男の境地であるから、実践以上のなにものからも、その境地は得られない。書いたり唱えたりすることだけで得られるのなら、誰も苦労しない。しかし、きわめて当たり前のこと。こんな当たり前のことをわざわざ書かなくても、存在するということそのものが、般若波羅蜜多なのだから。おそらく、哲学の境地というのは、一周まわってみたとき、当たり前が当たり前であると驚ける、そこにあるのだといつも思う。 生きるとか死ぬとか、ただのことばであったのだ。ただのことばとは言っても、そういうことばを人間がどういうわけか持っている。人間というものはどういうわけか、存在しないというものを考えられない。ということは、人間の成すこと、人間そのものが存在していなかった、存在しない存在だった、そういうことになる。そのように気づけるとき、なんといまここにある、ご縁の不思議さの愛おしいことか。 キリスト教は、神の偉大さを前にすることによって、人間存在を存在しないほどのところまで引き離す。理想と現実、善悪、彼岸と此岸、二元論となるのも納得できる。 逆に仏教にとっては、天地開闢はありえないのである。分けること自体がもう弥陀の本願から遠く離れてしまうのだ。ところが、どうも後世になるにしたがって、このことが間違って伝わってしまったらしい。天界に序列などない。少なくとも、仏陀はそんなもの想定する必要なかった。仏陀が偉大な存在に命じられて悟ったというのは、明らかに後世のフィクションである。末法を憂えたのはこのためである。教えが廃れるのではなく、教えを教えと信仰するところを彼は憂えたのである。 だが、仏陀のことばを伝えようとすることの方が価値があるとしたところは、仏陀の痛恨のミスであると思う。確かに、すべての人類が般若波羅蜜多に至るその時、これほど最高善に満ちた理想の世界はあるまい。そういう改革を目指したところは、イエス同様、情熱的な宗教家であると思う。般若波羅蜜多を掲げることで、理想を存在させたという点は極めて実践的である。だが、その状態をお題目にすることでそれが達成されるかはまた別の話で。仏陀自身が悠久の廻り道を経て辿り着いたその境地を唱えて達成できれば、はじめっからそうしている。総じて、宗教というものは形から入ることで、人間存在の変革を目指すところにあると思うが、どうにもそれだけでは足りないというか、不十分であるところに人間存在の不思議さがあるわけで。そこで、何はともあれ信じろ、と教義を持ち出すのである。宗教が詐欺に変わる瞬間である。 仏陀もずいぶん教祖として持ち上げられて苦労した事だろう。そんな面倒なことしなくても、この自分という存在があれば、世界は無限に耕せる。天上天下唯我独尊とはそういうものであったはずだ。 それにしてもこうやって、日本のことばで語り直そうという試みが今までになかったというところにも驚かされる。学問が寺の僧侶によって閉じ込められていたという点にも事情があると思う。だが、それ以外にも、そうした教えというものさえも、流れるものとして、信仰にできない、このお国の精神風土も関係あるんじゃないかと思っている。ある種、仏教さえも八百万のひとつであるかのように。
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般若心経と金剛経の対訳と解題。解題が興味深い。般若心経のサンスクリット写本は日本の法隆寺にしか現存していないというのでまず驚いた。 しかし、サンスクリットを漢語に訳してそれを更に日本語に訳してお経として読んでいるのだから何とも不思議な話だ。日本人の外国文化の吸収の仕方ってほんと不...
般若心経と金剛経の対訳と解題。解題が興味深い。般若心経のサンスクリット写本は日本の法隆寺にしか現存していないというのでまず驚いた。 しかし、サンスクリットを漢語に訳してそれを更に日本語に訳してお経として読んでいるのだから何とも不思議な話だ。日本人の外国文化の吸収の仕方ってほんと不思議。
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やはり、仏典を読むには正攻法しかないわけで、その最適の書ということだと思う。 不親切と言えば不親切。 しかし、そうでないと接近さえ認められない。
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2003年8月1日に通読しました。 もう一度、読みます。 (2014年2月5日) 読み終えました。 (2014年2月9日)
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この本で「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらぎゃーてい、はらそーぎゃーてい」の意味を知る。とはいえまだ、写経をする境地にはいたっていない。
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囚われてはいけない。 囚われてはいけないという事にも、囚われてはいけない。 それがこの経の内容です。 色とは物質世界です。 でも、色にレベルがあるのなら、精神世界とはより薄い色かもしれません。
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こういったシリーズはそろえておきたいものです。 チョット原典関係で調べたい事があった時には先ずこういった本にあたります。 般若心経もさっぱりと現代語にしてあって、後に注がまとまっているので読みやすいですね。
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