特攻隊と憲法九条 の商品レビュー
緩やかな変化には気付きづらい。アスファルトの下に根を張る雑草が、少しずつ成長して、いつしか固いアスファルトを持ち上げ、突き破って出てくることがある。その生命力の強さに感動するが、一方で徐々にゆっくりと進む変化が、到底出来ない、無いと思っていた自分の常識を覆してくる事に恐怖を覚えた...
緩やかな変化には気付きづらい。アスファルトの下に根を張る雑草が、少しずつ成長して、いつしか固いアスファルトを持ち上げ、突き破って出てくることがある。その生命力の強さに感動するが、一方で徐々にゆっくりと進む変化が、到底出来ない、無いと思っていた自分の常識を覆してくる事に恐怖を覚えたりもする。日本は太平洋戦争敗戦後、平和憲法を作り守ってきた。今日本に生活する大半の方は、生まれてこの方、戦争に行ったこともなければ、国が戦争に関わる様な状況も経験したことがない。誰もが知る憲法9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 ② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」。明確に戦争放棄と戦力不保持について書かれている。問題は「としては」の記述の解釈の違い、国際紛争の定義などであると思うが、日本はかつての侵略戦争の反省をふまえて、戦争とその手段を捨てた。よって憲法制定施行以降に他国と交戦した事はない。 今こうした長い間守り続けた憲法を改正しようという動きは勢いづいている。それも、戦争に行ったことがなく体験していない世代が中心だ。 本書は戦争当時東京大学在学中で、学生は戦争に参加せず勉強に集中すると決めていた政府が、その方針を変更し、結果、学徒出陣にて戦地へ赴く事となった筆者が、9条改定の動きに警鐘を鳴らす内容となっている。筆者は震洋(250〜300kgの爆薬を積載し、耐水性ベニア板 で造られたボート。敵艦に体当たりさせる特攻兵器)部隊に配属され、出撃前に終戦を迎えたものの、一度は生を捨て、国のために死を覚悟した経験を持つ。小泉首相靖国参拝、個人情報保護の名の下に実質的に報道関係者への規制となる法制度の施行、安倍政権時代に最高潮に勢いづいた改憲議論。様々な変化が少しずつ各所で発生している。 国家百年の大計とはよく言われるが、国を治めるような大きな政治をやりたいなら、先を見据え百年スパンで考えよという意味で捉えられると共に、そこには教育の重要性も強く意識されている。民主主義国家で政治を円滑に進めるには、国の方向性に賛同できる様な国民を大量に育て上げれば良いわけで、それを小学校教育の中から開始できれば、太平洋戦争時の様な愛国心に溢れた軍国少年の様な子供達を大量に世に送り出せる。教科書問題などが諸外国から厳しい目で見られるのはその為である(実際に中国、北朝鮮をはじめとする諸外国の教科書たるや、日本の軍国主義教育をとても避難できる様なものでは無く、かなり好き勝手言っている様ではあるが)。 教育や宗教で精神的に統制された集団は恐れを知らない。近年の新興宗教勢力によるテロ事件などは正にそうした精神状態を作り上げた結果の恐ろしさをよく表している。 長い年月をかけて、徐々に考え方・常識を変え、玉虫色に解釈できる様に制度を変え、自衛の強化の名の下に実力部隊を最新化・増強し、国際協力のベールを被せて実行する。この流れに徐々に巻き込まれているという自覚が国民全体何%の人が持ち合わせているだろうか。私も勿論全てを否定する訳では無く、平和を軸に現代の国際情勢、技術進歩の元であるべき姿に改善していく必要性は感じる。だがしかし、その根本的な精神的支柱を安易に変える事は許されない。憲法9条は過去に死を覚悟して国を守ろうとした先人達の知恵の結晶であり、2度と国民を戦禍に晒さないと強く誓った日本国民自身が作り上げたものである。国民全員が十分その事を考えなければ、我が国も小さな変化の流れに抗えない。
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