「非国民」のすすめ の商品レビュー
著者による1990年代前半〜2000年代前半の文章を収める。日本社会の明確な右傾化が露わになり、安倍・石破・麻生ら、自由とは「権力者の自由」だと信じて疑わない世襲議員たちが権力の中枢に近づいていく時期の記録でもある。自民党は、民主党政権時代に極右化したのではない。このときからす...
著者による1990年代前半〜2000年代前半の文章を収める。日本社会の明確な右傾化が露わになり、安倍・石破・麻生ら、自由とは「権力者の自由」だと信じて疑わない世襲議員たちが権力の中枢に近づいていく時期の記録でもある。自民党は、民主党政権時代に極右化したのではない。このときからすでに、胴体とはべつに、「頭部」はそうだったのだ。 生活保守主義、住基ネット、メディア規制、朝鮮人差別と「教育改革」、さらには三種混合ワクチン(MMR)問題など、本書で斎藤が調査と取材を重ねたテーマは多岐にわたる。 問題は、いわゆる《戦後民主主義》的なリベラル左翼の問題意識で書かれたところ(「衛星プチ帝国」としての日本/全体主義的警察国家としての日本)と、よりシステマティックで狡猾な、人々の心性に訴求する支配と統治の方法への問題提起(「生活保守主義」への誘導)とのつながりが、筆者の中で必ずしも明確な輪廓を描いていない点ではないか。確かに、日本の官僚システムは戦時体制下に完成し、その統治と支配のテクノロジーには連続性が看取できる。だが、問題はそのテクノロジーが、いつ・どんなとき・何のために・誰と共に行使されていたか、ということだ。 斎藤のこの本では、ネオリベラリズム時代の国家権力・統治機構の変質と従来の日本における官僚システムの問題点とが、必ずしもつながっていないように思う。やつらの言う意味での「国民」にはならない、というのが「非国民」のすすめだが、それは、逆に言えば、異なる意味なら「国民」でよい、ということでもある。
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