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分裂病の少女の手記 の商品レビュー

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8件のお客様レビュー

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2019/12/16

患者の訴える深い罪業感を知る片鱗が精神分析的な解釈とともに書かれている。もう少し生物学的な知見と合わせて考えてみたいものだ。詳しくは手帳に。

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2018/01/03

久々に二度読みしてしまった。分量は薄いが、内容に溢れている。自我を失うことにより、世界と渾然一体となった意識を、幾度かの退行の過程で投射、模倣を繰り返すことで分化していく。 治療者は母ー子という最も単純てあり、重要な関係の分化のステップを成す。 分裂病の治療だけでなく、人間の世界...

久々に二度読みしてしまった。分量は薄いが、内容に溢れている。自我を失うことにより、世界と渾然一体となった意識を、幾度かの退行の過程で投射、模倣を繰り返すことで分化していく。 治療者は母ー子という最も単純てあり、重要な関係の分化のステップを成す。 分裂病の治療だけでなく、人間の世界認識一般に応用できそうなので、また読むかもしれない。

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2013/09/30

・精神分裂病(統合失調症)の発症から快復までを綴ったルネの手記に、治療者セシュエー女史による分析が付されている。不安が恐怖を呼び起こし、恐怖が現実感を喪わせ、そして非現実感は自我を崩壊させる。ルネの手記は病者独特の内的状態を知るうえで、貴重な記録だ。 ・統合失調症という不可解な...

・精神分裂病(統合失調症)の発症から快復までを綴ったルネの手記に、治療者セシュエー女史による分析が付されている。不安が恐怖を呼び起こし、恐怖が現実感を喪わせ、そして非現実感は自我を崩壊させる。ルネの手記は病者独特の内的状態を知るうえで、貴重な記録だ。 ・統合失調症という不可解な病に相対する治療者の試行錯誤も克明に描かれている。ところで、この病を発症したルネの言動も奇妙なものだが、その治療法もまた奇妙に見える。リンゴの一片を母親の乳房に見立て、母乳を与えるかのようにしてリンゴを食べさせることによって、ルネが現実感を取り戻したという話などは、にわかには信じがたい。乳幼児期に母親との感情的接触が希薄だったことが統合失調症を誘発したという説明には一応の納得ができたとしても、象徴的実現という心理療法によって自我の再構成に成功したという解釈には違和感を拭えない。 ・現在の精神医学の界隈で本書がどのような位置づけにあるのかは分からないが、この例外的な事例の中に可能性を感じるかどうかは、判断が分かれるところだと思う。

Posted byブクログ

2012/02/23

ルネという仮名の少女が、分裂病から回復した後に、当時の自分について述べた内容が第一部であり、第二部が彼女を診察したセシュエーによる分析である。ちなみに、セシュエーはルネに「ママ」と呼ばれており、実際に治療の後にルネはセシュエーの養子となり、ルネは精神分析家となったらしい。逆に言え...

ルネという仮名の少女が、分裂病から回復した後に、当時の自分について述べた内容が第一部であり、第二部が彼女を診察したセシュエーによる分析である。ちなみに、セシュエーはルネに「ママ」と呼ばれており、実際に治療の後にルネはセシュエーの養子となり、ルネは精神分析家となったらしい。逆に言えば、それくらいまでにルネは回復したということだ。前書きに、セシュエーが、これほどの理知的でありながらも、どうして、分裂状態から戻ってこれないのか?と疑問を持たれる方もいるらしいが、それはどうしようもないことなのだ、とつづっている。だが、実際に手記におけるルネは理知的だ。彼女は優れた人間観察力を持っているし、自分の認知がゆがんでいることを彼女は自覚している。にもかかわらず、彼女はそれを退けられない。ある意味、「強迫的」な状態に陥っている。だが、次第に、現実と非現実の境界があいまいになってくると、「現実検討能力」とはいかなるものなのか?がよくわからなくなってくる。彼女は理知的でありながらも、現実検討能力がゆがんでいてそれを自覚していながらもそれを自覚しきれていない、といった非常に混沌とした精神状態に彼女はある。だが、これくらい混沌した描写をしなければならないくらいに悲惨なわけである。とはいえ、外側から見ればどれだけこっけいや気味悪く見えたとしても、あるいは、無秩序に見えたとしても、ルネはルネなりの「理知」を持っているわけである。そして、それが、誤っているなどとは誰にもいえないのではないか?社会通念は誤っているといわせるかもしれないけれど、そのレベルでしかないのではないか? ともかくセシュエーの献身的な治療によって、ルネは回復する。セシュエーは、記号に対して「象徴」という概念を治療のコンセプトとする。例えば、りんごを母の乳房として与える。つまり、象徴とはわかりやすく言えば比喩である。りんごは母の乳房を意味する、といった具合に、これはユングの夢分析にも通ずるところがある。かくして、ルネは回復の兆しを見せる。二人の間において、精神分析家としての客観的な態度はまるまる崩れているように映じる。フロイトが見たら、「転移」だと騒ぐような事態かもしれない。しかし、彼女、「対象関係論」を思わせる治療である。まず、彼女は、ルネの分裂病の原因を「口唇期において要求が満たされないことによる固着」としており、母親との「関係性」つまり、「愛着」が満たされなかったと考えているようである。なので、このセシュエーの異様なまでの接近性も、対象関係的に彼女がルネの「ママ」になったのだと考えれば、あれこれ説明がつく。そうして、彼女はルネの自我を発展させていく。これは、ピアジェの理論と重ねている。因果関係、アニミズム、永遠的な同一性の認識などである。つまり、フロイト+クライン+ピアジェ+ユングという非常に心理学をうまく混ぜ合わせた例だと思われるのである。とはいえ、セシュエーからすると、ルネに「転移」が生じている、というだけのつもりだったのかもしれないが、それだけなら、養子にはしないだろうし、乳房を与えはしないだろう。

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2012/01/21

私の見ている世界が 窓を変えるとどんなふうに見えるのか その好奇心を満たしてくれた本。 初めて読んだ頃、 R・D・レインが流行りで 狂気の人の方が実は真実に近いかもしれない、 という彼の考え方の裏付けとして とても興味深く読んだ本。

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2009/10/04

精神分裂病患者の体験記。患者の視点で描かれている。他者はロボットか人形のようで輪郭を失い、周囲の物たちは意味をなさなくなり、自己を失ってしまう恐怖。 自分が見ているあらゆるものは、他人の目にも同じように写っているのだろうか。

Posted byブクログ

2009/10/04

翻訳ということと専門用語が多いという事で少しわかりにくい事が多いのだが、それでも私は精神病の類いの人に対しての見解が大きく変わった。本人の思考には第三者がまるで予想もできないような事が起こってる事実は驚愕だった。ルネ本人の手記はとても興味深い。ピカソを追想した。

Posted byブクログ

2009/10/04

精神分裂病(統合失調症)を発症した少女ルネの病的世界と、「ママ」に出会って病気から回復するまでの過程を綴った手記。ルネの「世界」が、意外と身近に感じられる。

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