闇の奥 の商品レビュー
難しかった。クルツは声や言葉が優れている描写だったので神を象徴しているのかと思いつつも、やってることが残忍だったり象牙の亡者だったりするのでやっぱり違うか、と思ったり。マーロウが語る形式で、頭に入って来づらかった。
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「地獄の黙示録」の元ネタとして有名な(?)コンラッドの「闇の奥」。 いろいろなところで言及されたり、分析されたりすることも多いので、なんとなく知っている気になるが、ここは一応読んでおこうということで。 なんで、そんな気になったかというと、ここ数年、全体主義について調べていると...
「地獄の黙示録」の元ネタとして有名な(?)コンラッドの「闇の奥」。 いろいろなところで言及されたり、分析されたりすることも多いので、なんとなく知っている気になるが、ここは一応読んでおこうということで。 なんで、そんな気になったかというと、ここ数年、全体主義について調べているところなのだが、アーレントの「全体主義の起源」の第二部の「帝国主義」のなかで、「闇の奥」についての分析があったからかな? という流れなので、読む視点がどうしてもアーレントの読解に引っ張られるわけだが、それにしても、これはなんだかディープな本だった。 設定としては、マーロウという船乗りが、船が停泊しているなかで、仲間に自分の体験を物語るという体裁をとっているのだが、読んでいて、誰が誰だか、わからなくなってしまう複雑さがある。 訳文も1958年のもので、原文をしっかり訳そうとしているのか、かなり読みにくい感じ。なかなか、話の筋がわかりにくい。(もう少し、新しい訳を読めばよかった) この難しさはたんに訳文のせいだけではないはずで、まさに「暗黒大陸」アフリカの奥にむかって、川を遡行していくにあたって、なにがなんだかわからないことがどんどん起きて、悪夢のなかに迷い込んでいくような物語そのものの構造からやってくるのであろう。 なんだかよくわらないにもかかわらず、かなり衝撃的な本だった。(読みにくかったのには、最近、わたしが小説をほとんど読まないということも関係しているかもしれない) アフリカの奥地、闇の奥(Heart of Darkness)に入ることによって、理性と非理性の対立、文明と原始との対立が浮かび上がるとともに、人間の心の闇(Heart of Darkness)に分けいっていくことが主題なんですね。 と言っても、これは19世紀のヨーロッパ人の社会的な構築の文明観なんだけど。 アーレントは、「帝国主義」のなかで、ヨーロッパの植民地経営のなかで、人種主義的な暴力が蔓延していったことが、人の命を軽くみてしまう感性を生み出したこと、そして、ヨーロッパで余計ものになったいかがわしい人々が植民地に行って、傍若無人な行為をおこなっていたことが「全体主義」を生み出す一つの要因になったとしているが、まさにそのあたりの分析を裏付ける本だな〜。 「裏付ける」と言っても、これは小説であって、歴史家には、アーレントの論立ては、まったく許し難い論理であろうけど、アーレントは客観的な事実というより、主観的、心理的な経験というところから、全体主義的な暴力の一面を描こうとしていたんだなとあらためて納得した。 もうちょっと新しい翻訳で、再チャレンジしてみたい。
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中学生くらいのときに、地獄の黙示録の原作を読みたくて300円で買った本。懐かしい駸々堂のブックカバーのまま、40年寝かせて今頃読んだ。 主人公マーローが、アフリカの奥地にいるクルツを連れ戻すように会社に命令され、地獄のような光景を見ながらコンゴー川を遡って行く。 地獄の黙示録が好...
中学生くらいのときに、地獄の黙示録の原作を読みたくて300円で買った本。懐かしい駸々堂のブックカバーのまま、40年寝かせて今頃読んだ。 主人公マーローが、アフリカの奥地にいるクルツを連れ戻すように会社に命令され、地獄のような光景を見ながらコンゴー川を遡って行く。 地獄の黙示録が好きな人ならきっと気にいると思う。
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マーロウという青年が一旗揚げるつもりで未開の地におりたつ。 白人が黒人を使い、象牙で儲ける。あれ、勝手にやってきた白人がなぜ勝手に元々住んでいる人を顎で使い、(金なんて払ってないんだろう?)利益も自分達の物に。あれ、色々おかしいぞ。 出会う人出会う人、「クルツって奴はドープな...
マーロウという青年が一旗揚げるつもりで未開の地におりたつ。 白人が黒人を使い、象牙で儲ける。あれ、勝手にやってきた白人がなぜ勝手に元々住んでいる人を顎で使い、(金なんて払ってないんだろう?)利益も自分達の物に。あれ、色々おかしいぞ。 出会う人出会う人、「クルツって奴はドープな奴だぜ」みたいなことを言う。本人に会ってみると、死に際で、まさに死に水をとるはめに。 その瞬間に主人公は何かを悟ってしまう。そしてその説明なし。多分作者しか理解してないし、全世界の人間がおあずけをされている。
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船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに昔話を語るところから物語は始まる。マーロウの話し言葉で物語は進み、時折、船上の仲間たちの視線も描写される。マーロウと言うのは作者の分身で、この作品は自伝的らしい。 マーロウは貿易会社に入りアフリカへ行く。それも、何だか誘われるような行動で、...
船乗りのマーロウが、船上で仲間たちに昔話を語るところから物語は始まる。マーロウの話し言葉で物語は進み、時折、船上の仲間たちの視線も描写される。マーロウと言うのは作者の分身で、この作品は自伝的らしい。 マーロウは貿易会社に入りアフリカへ行く。それも、何だか誘われるような行動で、白鯨のイシュメールを思わせる抗えない磁力を感じる。アフリカでは黒人が持ってくる象牙を薬莢やガラス玉と交換していた。ここで黒人はかなり搾取されていたことが分かる。文明の対立がある。 仕事仲間から、ある男の話を聞く。それがクルツという人物で、彼はジャングルの奥の出張所で暮らしていて、非常に優秀で天才だと聞かされるのだ。マーロウの中でクルツという存在が、どのように大きくなっていったのかはよく分からない。話を聞くうちに、まるで尊崇するかのような気持ちになっている。クルツに会って、クルツが死んでからも、彼のことを一番知っているのは自分だと思っている。これは自惚れなのか、それとも真実なのかを読み解く力は、今の私には無い。 クルツは狂ったように象牙を集める。ジャングルの奥で土人の支配者になっていたのだ。クルツはジャングルの奥の、闇の奥でどれだけの狂気に取り憑かれていたのか。クルツが連れていかれるときに、周りに住んでいる土人たちは必死に抵抗する。クルツの命令もあるだろうが、心から止めているようでもあった。クルツは搾取する側の人間で、安く象牙を買い叩いて莫大な利益にしている。土人にとってクルツは英雄なのか、それとも初めて見た光に釣られてしまったのか。 クルツは死ぬ前に「地獄だ! 地獄だ!」と二度叫んだ。それはジャングルの闇がそうさせたのか。はたまた、人の奥に真の闇を見たのか。ずっと闇の中にいて、考えすぎておかしくなってしまったというのも現実ではありそうだが、マーロウとクルツの動機は分からない。支配人や、最後に出てくるクルツの許婚などは分かりやすいので、比べてマーロウとクルツの思慮深さが際立つのかもしれない。 物語は中ごろまで来て、マーロウの話が進むとともに、冒頭の船上は夕方になり薄暗くなってきた。彼らがいると分かる描写は、これが最後だ。その後は過去の話が闇の中を進むように、現在の彼らの姿も闇に消えたような感じがした。
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コンラッドは、自身が船長として、現在のコンゴ民主共和国のキサンガニ(スタンリー・フォールズ)に遡行した時の経験を基に、この小説を書いたとあとがきにあります。 主人公がアフリカの奥地で出会うクルツという人物の心の闇、そして19世紀当時のアフリカのジャングルの闇が不気味に描写されて...
コンラッドは、自身が船長として、現在のコンゴ民主共和国のキサンガニ(スタンリー・フォールズ)に遡行した時の経験を基に、この小説を書いたとあとがきにあります。 主人公がアフリカの奥地で出会うクルツという人物の心の闇、そして19世紀当時のアフリカのジャングルの闇が不気味に描写されています。 このあたり、映画の「地獄の黙示録」は、この小説の雰囲気を良く伝えています。実際、フランシス・コッポラはこの作品の映画化を真剣に検討していたようです。マーロン・ブランド演ずるカーツ大佐の名前が、クルツに似ているのは偶然ではないでしょう。 異郷であれ、大都会であれ、そこに住む人間の寂寥を描く、というのは文学の一つ大きなテーマなのでしょうか。この小説が書かれた19世紀末、植民地の開拓への野心華やかりし時代にアフリカへと渡った人たちの懊悩が垣間見えた気がしました。
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映画「地獄の黙示録」の原作といわれる作品とのこと。コンゴの奥地への異様に薄暗い旅。真夏に汗だくでもう一回読んでみよう。
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解説の通り、クルツが荒廃していく話だということは理解できたが、全体的に分かりにくい。 終始一人称語りの上に文章が装飾だらけのため、何が起きているのか理解するのに時間がかかった。一部時系列的に前後する話をしていたりした箇所も。 そのため、一つ一つの文章を正確に追わないと理解できない...
解説の通り、クルツが荒廃していく話だということは理解できたが、全体的に分かりにくい。 終始一人称語りの上に文章が装飾だらけのため、何が起きているのか理解するのに時間がかかった。一部時系列的に前後する話をしていたりした箇所も。 そのため、一つ一つの文章を正確に追わないと理解できないため電車の中で読むには向かない作品だと思った。 まぁ、これが彼の持ち味なのかもしれないけれど
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(01) 人類学的な,ゆえに探検的な地誌を装った宗教経済小説(*02)として読むことは可能だろうか. 大航海時代を終え,西欧によって大陸は海岸から発見されていった.本書の書かれた19世紀の終末期には,まだいくらか大陸の内陸は残されていたし,南極北極や高地が目指されると,ヴェルヌや...
(01) 人類学的な,ゆえに探検的な地誌を装った宗教経済小説(*02)として読むことは可能だろうか. 大航海時代を終え,西欧によって大陸は海岸から発見されていった.本書の書かれた19世紀の終末期には,まだいくらか大陸の内陸は残されていたし,南極北極や高地が目指されると,ヴェルヌやウェルズらのSFもとらえた深海や宇宙が目指される.水平から垂直への探検の志向の転換期に省みられた「奥」が本書の問題である.なお,原題は"Heart of Darkness"であり,「心奥」あるいは「中心」とも訳すことができるのかもしれない. 象牙経済とカリスマ的な支配の中心にいる,あるいは語り手マーロウ(*03)の人類学的な罪悪感の心裡に潜む,クルツという存在はとても創造的である.クルツの意志や能力は,クルツの所有になく,奥地に居座るクルツを取り巻く環境の側にある.つまり,クルツを創造したのは蛮人,叢林,森林の総体であって,クルツ自身ではない,というところが肝になる.闇の側には,クルツに経済的で宗教的な存在としてぜひとも支配してもらいたいという人類学的な事情があった. ゆえに,クルツは死んでのちに闇から運び出されたのではなく,闇から運び出されたために死んだのである. (02) 「巡礼」という隠語がこのあたりの事情を端的に表している. (03) クルツに対してマーロウとは何者か.合理的な思考の下では,クルツの存在について語るクルツの紹介者,そして伝道師のようでもある. が,「俺の知り合いが」で始まる騙りが,「俺」自身の経験であることが日常的でもあるように,マーロウは,クルツへの憧憬を語ると同時に,クルツ自身である己を告白している.このように読んだときに,タイムリープな時系列が現れる. 冒頭のテムズ河での船上の待機は,すべての経験を終えたのちのマーロウの状態であるという合理的な読みの裏側には,すべての始まりの前,マーロウのクルツを求める旅程どころか,クルツ自身の旅のはじまりを予感させていることも読み込める.海を川を辿り,ところどころの中継地を経由し,奥へ奥へと進むこの道行を何度となく何人もいった,すべての同類たちの経験と予感でもあった.
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なかなか難解だった。違う訳で読むとまた感想が変わりそう。語り手のマーロウもクルツも奥地へ行く前と後では人生観が変わってしまった。
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