明治5年・6年 大鳥圭介の英・米産業視察日記 の商品レビュー
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2007年刊。箱館戦争で政府軍と対決した大鳥圭介。後に許され、また伊藤博文の知遇を得、工部省でその才幹を発揮した大鳥の英米視察日記の抄録(洋行目的は秩禄処分のための外債獲得)が本書。英米の技師らへの質問の回答などを実に詳細に記録にとどめており、彼の旺盛な好奇心、高い問題意識と、回答を受容できる基礎素養を看取できる。この視察における大鳥の究極の結論が、石炭・鉄・石油の重要性の発見に帰着した点は、当然といえば当然の帰結だが、短期間でそこに到達した慧眼にはやはり目を見張るべきだろう。なお、著者は大鳥の妹の曾孫。
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大鳥圭介という明治維新のテクノクラートはとても興味深い人だ。 戊辰戦争時、実戦経験がないながらも旧幕府軍総督として陸戦部隊を率いて転戦し、箱館戦争では陸軍奉行として終戦を迎える。首謀者の一人として2年半にわたる牢生活の後、明治5年1月無罪放免になると、翌月には明治政府が英米に外債...
大鳥圭介という明治維新のテクノクラートはとても興味深い人だ。 戊辰戦争時、実戦経験がないながらも旧幕府軍総督として陸戦部隊を率いて転戦し、箱館戦争では陸軍奉行として終戦を迎える。首謀者の一人として2年半にわたる牢生活の後、明治5年1月無罪放免になると、翌月には明治政府が英米に外債を求めた外債募集団に随行してアメリカに渡っている。 外債募集団に随行してアメリカ、イギリスに渡ったときの大鳥圭介の日記を紐解きながら、工科学者、技術者としての本来の大鳥圭介の姿を知るとともに、大鳥圭介や外債募集団、岩倉使節団が明治維新の殖産興業にどのように貢献したかを知ることができる一冊だ。 江戸城無血開城後、日光、宇都宮、会津、仙台、箱館と旧幕府軍の同志を率いて闘ってきた大鳥圭介はもともと西洋科学を志した人だ。それも、築城などの土木工学や西洋の兵法など実践的なものを一気に学び、それを伝えようとした姿は、学問に権威を持たせようとする学者というよりは、今の企業内研究所の所長兼エンジニアに似ているように思う。 大鳥圭介は、合理性と実践の人だ。 日本近代印刷普及の祖は長崎の本木昌造だが、大鳥圭介は本木より早くに、金属活字を使った活版印刷に取り組んでいる。この活字は大鳥活字といい、活字そのものは現存していないが、それを使った教科書数種類が残っている。多くの生徒に平等に教えるためには教科書が大量に必要になる。いったん活字を作ってしまえば、いちいち版を彫らなくても、組み換えで多種の本が作れると言う点に着目して実践するところに大鳥圭介の身軽さと近代性が垣間見える。その身軽さと近代性は男の生き様としての戊辰戦争史の中では得てして軟弱な存在として表現されてきた。 大鳥圭介は、明治政府出仕後のことをあまり書き残していないようだ。しかし英米視察から帰国後、工部省の日本近代化と殖産興業への力の入れ方をみてもその中心人物の一人である彼の実力が大いに発揮されたことが読み取れる。 そのような男が先進の地で興味深く見てきたものは、やはり産業のベースとなっている科学技術だった。 岩倉使節団と一緒に滞在した英国では、ロンドンを拠点に、バーミンガム、マンチェスター、リバプール、ニューカッスルなどからスコットランドのエジンバラやグラスゴー、ダンディーあたりまで足を伸ばして精力的に工場見学を続けている。見学した工場も、造船や鉄鋼業から、印刷や、薬品作り、皮なめし、ウイスキー醸造など多岐に渡る。日記には、見学した技術をこと細かく時には絵入りで記録している。 戊辰戦争で苦戦させられたアームストロング砲を発明した会社を訪問したり、エジンバラでは印刷工程を克明に記録したりと、彼の中に生きる過去の経験をベースにして新しい技術を理解していこうとする姿が垣間見えるのも興味深い。 アメリカに渡ってからも彼の精力的な見学と記録は続く。 明治政府が送り出した使節団というものが現地でどのようなことを行っていたのか?なんで2年以上にも及んだのか、疑問はあったがそれを教えてくれる書物になかなか出会えなかった。大鳥圭介が随行したのは岩倉使節団ではないが、この日記でその疑問の一部が解けた。 現代でも役人や高級官僚、議員たちの海外視察は大手を振って行われている。視察団の人々に大鳥圭介の十分の一でもいい、目的の明確な視察と記録を実践してくれればと思ってしまうほど、客観的な記述でありながら、その使命感をひしひしと感じる日記だった。
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