コミュニティ心理学 の商品レビュー
コミュニティ心理学とは不思議な学問だ。一対一で行う一般的な臨床心理と違い、コミュニティ心理学はより根本的なところを通してアプローチをかける。その根本的なところというのが、コミュニティでありその社会である。 確かに一対一の療法は対処療法的というか、その社会のもつ根幹的な血管にアプ...
コミュニティ心理学とは不思議な学問だ。一対一で行う一般的な臨床心理と違い、コミュニティ心理学はより根本的なところを通してアプローチをかける。その根本的なところというのが、コミュニティでありその社会である。 確かに一対一の療法は対処療法的というか、その社会のもつ根幹的な血管にアプローチすることは出来ない。そういう意味で、コミュニティ心理学がやろうとしているのはよりマクロなレベルでの解決である。 とはいえ政治や政策といったような、あまりにもマクロな方向にもいかない。狙うのは個人と国家の中間地点であり、そこに心理学者が他者(たとえばソーシャルワーカーとか)と共同して活躍できる場所があるのではないかと提案するのがコミュニティ心理学である。 必然、コミュニティ心理学がやろうとしていることは、教育や宗教の部分に近くなってくる。違いがあるとすれば、心理学者が入ることによって統計的、あるいは科学的な知見が導入されるというところか。 この「科学的な知見」という言葉が、「これは科学的な手法です」という能動的な弁論として用いられるというよりは、大部分のケースにおいて「科学という言葉を見だりに使うことは非科学的である」という警鐘を指しているであろうというあたりに、実践(社会)科学の悲哀があるような気もするが、それは今後の進歩を待つしかないだろう。方向性としては、いくら「科学」が頼りないとしても、それはやはり正しいのだから。 いずれにせよ、このような学問が生まれるということは、今までのコミュニティに働き変えていたものーー主として宗教ーーが、時代にだんだんと不適合になっているということの表れでもある。 また、心理学が宗教の領域を侵犯していくということは、必然的に心理 学の役割が宗教化していくということでもある。 そのとき、心理学が宗教の方向へ行かないためにはなんとしてでもその科学的態度を維持していくことに躍起になるしかないと思うが、果たして一般レベルにおいてそれが実現可能なことなのだろうか? どうも、やはり進むべき方向性としては「心理学を取り入れた宗教の誕生」という方向に行くような気がしてならない。「宗教の反省を生かした心理学」というよりも。
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