暮らしの哲学 の商品レビュー
最初から最後まで共感しかない。 この人の著書をずっと読み続けてるのは、きっと読んでてその感覚が好きだからだろう。 死は無、好き嫌いは不可思議、哲学と思想、考えるとは、子供時代の夏休みの感覚は2度とこない、アンチエイジング、いじめられる側は良いことか、など。 31冊目読了。
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メモ→ https://twitter.com/nobushiromasaki/status/1653550671222960128?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw
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めぐる季節の中で考える日常発信の哲学。私、言葉、宇宙、犬、死など。内に向かって外に向かって突き詰めて突き詰めて考えて考えて考える。考えるおもしろさ。難しい。答えはない。深く深く深く。自分で考える。
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確かに小学生時代の夏休みは輝いてきた。 今それが感じられないのは今を生きていないからなのだろう。 老いを受け入れる事であの感覚を取り戻したい。
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池田晶子さんを知らなかったのですが、岩崎俊一さんの著書でこの本について書かれた箇所があり、興味が湧き読みました。 キレ味の良い言葉と、それが言葉となるまでの筆者の思考に、圧倒されながらも、ハッとしたりスカッとしたり頷いたり、とにかく読んでいて刺激的な一冊でした。 これから先も何...
池田晶子さんを知らなかったのですが、岩崎俊一さんの著書でこの本について書かれた箇所があり、興味が湧き読みました。 キレ味の良い言葉と、それが言葉となるまでの筆者の思考に、圧倒されながらも、ハッとしたりスカッとしたり頷いたり、とにかく読んでいて刺激的な一冊でした。 これから先も何度も読み返して、もっとこの言葉を自分の血肉にしたい。 他の著作も読んでみたいと思います。
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10年ぶりくらいに読んだ池田晶子は、社会人になった私の感覚とは一致しないところが多々あった。私は得たのか失ったのか、果たして。
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池田さんのエッセイ本。これが最後の発行だった…のかな?もう亡くなって10年も経つんですねぇ…。 毎日が「考える」。わかるような、わからないような、海を漂うような、深く沈みそうな、ぽっかり浮かびそうな、コーヒーをいれて、窓際で、ぽかぽかの日差しでも雨でも、一緒にいて お話をしてい...
池田さんのエッセイ本。これが最後の発行だった…のかな?もう亡くなって10年も経つんですねぇ…。 毎日が「考える」。わかるような、わからないような、海を漂うような、深く沈みそうな、ぽっかり浮かびそうな、コーヒーをいれて、窓際で、ぽかぽかの日差しでも雨でも、一緒にいて お話をしているような気持ち。 淡々としながら、時に熱を帯びながら(あ、怒ってるなというのも親しみで微笑ましく)、おもしろく読めました。
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物は持たない、捨てる。余計な人間関係も段々捨てる(^o^)ピーマン(嫌いな人)が存在するのは認めるが関知しない( ・ω・)ノ無理に食べない(^o^)/
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この本は良いなあ。 サンデー毎日で連載していたエッセイを集めたものという事です。 GWという事でだらだらとビールをやりながら読んでたわけですが、この本読んでると、哲学って楽しいものだよなあ、と改めて感じ入ります。 さて、内容の方はというと哲学エッセイと著者自身が言っているように...
この本は良いなあ。 サンデー毎日で連載していたエッセイを集めたものという事です。 GWという事でだらだらとビールをやりながら読んでたわけですが、この本読んでると、哲学って楽しいものだよなあ、と改めて感じ入ります。 さて、内容の方はというと哲学エッセイと著者自身が言っているように、深いけど読みやすいですね。はい、アルコールが入っていても楽しめる内容です(笑) 四季の風情に合わせて哲学してます。 例えば春ならば桜。 春の咲き乱れる桜を例に、始まりは痛みだ、と書いてある。そして人は経験を重ねる事により、その痛みが本当は心地よいものである事を知る。 若者は残念ながらまだその楽しさを知らないのだなあ。 ふむふむ確かにその通りと少々優越感。やはり歳をとる事は素晴らしい事だ。 桜は毎年変わらず咲き誇る。だけどそれを眺める我々は少しづつ老いていく。あと何回この桜を見れるだろう。来年は見れるのか?限りがある事を理解出来るからこそ、桜を愛でる今を喜べるという事ですね。 もしも桜が、我々と同じ速度で老いていくとしたら、自らの変化も気がつかないんだろうなあ。桜という変わらぬ(ように感じる)ものがあるからこそ自らの進んできた道を振りかえる事ができる。 違う速度で生きている桜と、自らを比較する事が出来るからこそ、桜の美しさ、そして自らの生の美しさも感じる事が出来るわけで。 つまり自己を知るには他者があらねばならぬ、という事か。 桜とは反対に、我々よりも遅くやってきて、先に去っていくものもある。 それは夏の章に登場するの犬という生き物。人間はどのワンちゃんを飼おうかと選ぶ事は出来るけれど、ワンちゃんの方は飼い主を選ぶ事は出来ないんだよなあ。 だけれども、精一杯、飼い主に寄り添おう、関心を持とうとしてくれる。 そしてワンちゃんは、たいてい我々よりも先に老いて、この世からいなくなる。彼ら彼女らが我々に教えてくれるものはなんだろう? 桜と犬が生きる速度の中間の速さで生きる我々人間は何を感じ何を見つける事が出来るのか? それを考える事こそが哲学というものなのかもしれないなあ、自分の周りにあるものを、よりよく観察する事こそ、自分の心に何が映っているのかを眺める事なのかなあ、とアルコールで気分上々の私は思ったわけです。 著者の池田晶子さんが亡くなったのは2007年2月。 この連載の最終掲載が2007年3月という事です。結構亡くなる寸前まで書いていた原稿なんでしょね。ちなみに享年46歳という事。 あー、今年誕生日が来れば自分も46だなあ、とその点でもしみじみ。 おそらく自分はもう少し長く生きそうだ。 自分は何を見つけられるだろうかなあ、という事も考えさせられる一冊です。
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久々に彼女のことばに触れてみる。ああ、やっぱり変わらないな、そんな安心感。文体はかくも息づいている。彼女のことばが、わたしのことばになって音をもって、肉体から発せられる。暮らしはそんな風にできている。それを魂と呼ぶのか、風と呼ぶのか、いずれにしても、存在は不滅なのである。正確には...
久々に彼女のことばに触れてみる。ああ、やっぱり変わらないな、そんな安心感。文体はかくも息づいている。彼女のことばが、わたしのことばになって音をもって、肉体から発せられる。暮らしはそんな風にできている。それを魂と呼ぶのか、風と呼ぶのか、いずれにしても、存在は不滅なのである。正確には、滅びさえも、存在させてしまっている。 逆に言えば、彼女の変わらないことばにどこか飽きてしまっているのかもしれない。書かなくても読まなくても、わかってしまう。だってそれはずっと考えていたことだから。 彼女は書くことを生業とした。自分ももしかしたらそういう道を進むかもしれないし、そうでないかもしれない。あるいは、別の媒体でもって何か表現しているかもしれない。それはこの星の決めること。たとえ何であっても、この自分が生きていること自体が、ひとつの精神の表現であると信じている。生きて死ぬこと、暮らしだってひとつの文体なのである。ならばせいぜい生きてみましょうか。 目の前に苦しみを訴えるひとがいるとして、彼女はどうするのだろうか。ずっと考えていた。すぐれた哲学人であるから、さぞすごいことをするのだろうとずっと思い込んでいた。あるいは、理を説きまくるものだと。若い頃ならそうしたかもしれない。 でも、そんなことはないのだと最近思い至る。やっぱり人並みに戸惑って、おろおろして、それでも必ず飲み込んで、考えて、いくつか尋ね、そしてまた考える。彼女もまた人間なのだから。違うけど、おんなじ。そんな風に感じている。
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