黙読の山 の商品レビュー
荒川洋治と村上龍の出現は、私の大学時代、私にとっての新しい文学が生まれた瞬間でした。 『砲弾』 たしかに、人間の美的感覚よりも、コンプライアンスなどといったえせ倫理がまかり通っている。文学には、美がある。
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「知的」というのは、こういう人のことを言うのでしょう。知識の深さ、考えの的確さに、深く感じ入ります。タイトルになった「黙読の山」の章が特に印象に残りました。こういう蘊蓄を話してくれる人なら、何時間でも話聞いちゃいます。
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荒川洋治の言うことに、否定、と、やや否定、という気持ちを併せて90%は素直に頷くことができないのに、気付くとみすずから出版されたエッセイ集を読むのは4冊目である。もちろん、シンプルな本の背の趣に惹かれ、コレクター的欲望から手に取っていることも否定はしないけれど、結局読んでみたいと...
荒川洋治の言うことに、否定、と、やや否定、という気持ちを併せて90%は素直に頷くことができないのに、気付くとみすずから出版されたエッセイ集を読むのは4冊目である。もちろん、シンプルな本の背の趣に惹かれ、コレクター的欲望から手に取っていることも否定はしないけれど、結局読んでみたいという気にさせる記憶が何処かにあって、頁を繰っているのだ。 読み出せばまた、そうかなあ、それは違うんじゃないかなあ、等と思うのだが、読み続ける内にどんぴしゃりな一篇に出くわしてしまい、う〜ん、と唸ってしまう。 思うに、荒川洋治は記憶の人であり、記録の人である。名前を与えられたもの、物質的なもの、付随する情報、それらの収集、そしてその解釈に熱心であり、時として度が過ぎることもある。その態度に決して違和感はないのだが、そこから一気に詰め寄る結論、いや、恐らく、結論であるとする荒川洋治の確信が、自分を何処か否定的な気分に連れて行くのだ。 一方で、比較的、断定的ではないもの言いの荒川洋治が好もしいのかといえば、それも違うのである。ズバっとした切り口でありながら10%に属するものに、意味も解らずやられるのである。本書の中では、プッツァーティに関する一篇等、大いにやられた。 このアンバランス。自分でも何が面白いと思っているのか解らなくなる。次の一冊、果たして手に取るのか、自分?
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烏兎の庭 第三部 書評 12.29.07 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/diary/d0712.html#mokudoku
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詩について全くの門外漢ですが、荒川さんのエッセイは好きで、よく読みます。タイトルの「黙読の山」とは、地名の「○○山」を「さん」と読むのか「ざん」と読むのか「やま」と読むのかという内容です。そう言えばそうだよなあと改めて思いました。私たちが無意識のうちに通り過ぎている事柄を掬い取り...
詩について全くの門外漢ですが、荒川さんのエッセイは好きで、よく読みます。タイトルの「黙読の山」とは、地名の「○○山」を「さん」と読むのか「ざん」と読むのか「やま」と読むのかという内容です。そう言えばそうだよなあと改めて思いました。私たちが無意識のうちに通り過ぎている事柄を掬い取り、文章にしているところがうまいですね。「ゲド戦記」の主題歌と萩原朔太郎の詩の件は、映画そのものを見るつもりがなかったので、今回初めて知りました。
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