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人為と自然 の商品レビュー

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2023/08/10

「人為と自然」というテーマをめぐって、三木の思想の検討をおこなっている本です。 ところで著者は、こうした問題意識について「三木研究としては奇を衒った書名かもしれない」といい、三木の思想は「歴史から自然を理解する」という特徴をもつものとみなされてきたと述べています。たしかに本書で...

「人為と自然」というテーマをめぐって、三木の思想の検討をおこなっている本です。 ところで著者は、こうした問題意識について「三木研究としては奇を衒った書名かもしれない」といい、三木の思想は「歴史から自然を理解する」という特徴をもつものとみなされてきたと述べています。たしかに本書でも、三木が師の西田幾多郎の哲学について、東洋的自然観を脱することができなかったことを批判し、あるいはマルクスの解釈をめぐってエンゲルスにはじまる自然弁証法を認めていなかったことがとりあげられています。しかし著者は、三木がその思索を展開していくなかで、しだいに「人為」から「自然」へと強調点が推移していったと主張します。 ただしそれは、三木が批判している東洋的自然観のように、主体と自然との連続的なつながりを認めたということではありません。むしろ三木の主題である「自然」は、そうした連続的なつながりを断ち切るようなものとして現れてきたのであり、そうした自然をめぐる哲学的問題をみずからの思想のうちに取り入れることで、三木が「現実」へと肉薄することができるようになったことが論じられています。 とりわけ著者が注目しているのが、『哲学的人間学』がなぜ挫折したのかという問題です。『哲学的人間学』を執筆するなかで上記のような問題が浮上し、迂回路としての『構想力の論理』の諸テーマに取り組んだと著者は考えます。しかし、獄中での死を余儀なくされたことで『構想力の論理』は未完のままに終わり、三木の哲学はそのほんらいの可能性を十全に示すにはいたりませんでした。本書は、そうした三木の哲学がほんらいもちえたはずの現代的な可能性を切り開く試みということができるように思います。

Posted byブクログ