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トルストイ家の箱舟 の商品レビュー

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2012/08/25

トルストイは、1910年11月7日(10日説も)に亡くなっている。 トルストイは、ソフィア夫人との間に10人以上の子を生し、晩年も夫人を含む家族と暮らしていたが、1910年10月末の夜に家出した。 実妹のいる女子修道院を尋ねたのち、行き先も決まらないまま汽車に乗り、その車中で風邪...

トルストイは、1910年11月7日(10日説も)に亡くなっている。 トルストイは、ソフィア夫人との間に10人以上の子を生し、晩年も夫人を含む家族と暮らしていたが、1910年10月末の夜に家出した。 実妹のいる女子修道院を尋ねたのち、行き先も決まらないまま汽車に乗り、その車中で風邪をひいた。 肺炎になり、アスターポヴォという小さな駅舎で息を引き取る。 家出をして数日後のことだった。 著者のふみ子・デイヴィスさんは、現ロシア大学を卒業し、アメリカ人と結婚。主婦、子育てをしつつ陶磁器の絵付けを本格的に学び、現在シンガポールに在住するアーティスト。 1999年から、シンガポールとモスクワを行き来する生活となり、現地の国際婦人クラブの文学サークルに参加した。 そこで、ナターシャ・トルスタヤと出会う。 ナターシャ・トルスタヤさんは、トルストイの曾々孫にあたる方で著者は親交を深めつつ、文豪トルストイの最晩年の家出の謎を追うことになる。 本書は主にトルストイ最後の秘書のブルガーコフの日記の引用を軸として、その他多数の文献や日記などで文豪最後の日々に迫る。 ブルガーコフの日記が多用されているとはいえ、トルストイの研究家でも文学者でもない著者が、不思議な縁に引っ張られるように熱意をこめて書いた本であることがよくわかる。 トルストイは長年夫人との関係に悩んでいた。 関係にというのはおそらく正しくないだろう。著者は夫人に同情的な立場をとってはいるが、自殺するという狂言を繰り返し、側近との関係や日記や遺書に執拗に固執しつづけトルストイを悩まし続けた夫人は、精神医学的に正常とはいい難い。 トルストイは長い年月、我慢を重ね、ついに家を出た。 著者が書いているように夫妻は互いに愛情をもっていただろう。だからこそ、苦しみ、トルストイは最大限の忍耐の日々を送っていたのだと推測できる。 家出をして、10日くらいでトルストイは死んでしまうが、家を出たことになんら後悔はしていないだろう。 夫人は、夫の死後、9年生きて亡くなっている。

Posted byブクログ