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テイラーのコミュニタリアニズム の商品レビュー

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2013/04/29
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カナダの政治哲学者ジェイムズ・テイラーの広範な領域に渡る哲学について解説した日本人による論文。現代リベラリズムとコミュニタリズムの論争点、及び議論が多岐にわたり、わかりにくいと言われるテイラーの思想を丁寧に解説している。 個人の自由、尊厳と、共同体の要請、社会的責任は、対立し得る。個人の自由を過度に主張すれば、共同体の規範が疎かにされるし、共同体の規範を優先し過ぎれば、個人の自由と尊厳は剥奪される。テイラーは、近代的な個人の尊厳と共同体の共通善の並存、和解を考えた思想家である。 前近代社会において、道徳の源泉は、神なり、王なり、自己や社会の外部にある超越存在だった。近代社会において、道徳の源泉は、自己の内面に宿るとされた。自己の内面から道徳的価値を引き出す。テイラーは、特にヘルダーのドイツロマン主義の思想に、近代的自己の目覚めを見るし、道徳の源泉を超越存在でなく、自己から取り出すことを肯定する。 かといって、テイラーの思想において、共同体が破棄されるわけではない。独話でなく、尊厳と自由を持った諸個人の対話、相互承認から、共同体の共通善が生じるとテイラーは考える。また、テイラーが想定する共同体は、一枚岩の窮屈なものでなく、多様な価値を持った自己を内包する多元的共和主義である。 本書巻末には、補論として、リベラル・コミュニタリアン論争の「政治的転回」が記載されている。特にサンデルによる、リベラリズムと共和主義の違いの説明が興味深かった。以下引用。 まず、公共哲学としてのリベラリズムは、 (1)自由の理念を目的に先行して存在する自己の選択の自由、つまり主意主義的(voluntarist)な自由として理解する。 (2)権利はつねに善に対して優先する。 (3)政府はつねに多様な善に対して中立的でなければならない。 これに対して、公共哲学としての共和主義は、 (1)自由を市民による自己統治(self-government)とみなす。 (2)コミュニティにおいて共有される共通善を重視する。 (3)自己統治に必要な市民の徳を育成するという、「陶治のプロジェクト」を政府の役割とみなす。 (p.165) 公共哲学としての共和主義は、トクヴィルの伝統に沿うものである。20世紀後半のアメリカでは、共和主義の伝統的価値が消えて、権利を主張するリベラリズムの価値観が台頭したとサンデルは指摘するが、著者も指摘しているように、19世紀的な共和主義の伝統下では、女性、黒人などが白人男性に比べて差別的待遇を受けてきた。リベラリズムは、万人の自由と尊厳を主張し、社会変革をもたらしたが、社会の共通善を尊ぶ共和主義は、差別をどこまで是正できるのか。 個人の自由の主張一辺倒では、社会がばらばらになる。個人と社会の価値を和解させる道の探求が今後も待たれる。

Posted byブクログ

2021/06/24

自己論、社会論のところと最終章を読んだ。再読したい。 強い評価者、不断な自己解釈的存在が自己に関するキーワード。 サンデル、マッキンタイアの主張する社会への負荷ある存在としての人間、物語る存在としての人間に対するテイラーなりの表現か。 背景を理解した上では、直感的で共感が持てる...

自己論、社会論のところと最終章を読んだ。再読したい。 強い評価者、不断な自己解釈的存在が自己に関するキーワード。 サンデル、マッキンタイアの主張する社会への負荷ある存在としての人間、物語る存在としての人間に対するテイラーなりの表現か。 背景を理解した上では、直感的で共感が持てると感じた。 私には、表現的言語学という概念が新鮮だった。ソシュールから続くような人間の存在や世界認識は言語が中心であるという考え方からは、指示的言語との対比では自然な捉え方だと思う。

Posted byブクログ