江戸の妖怪事件簿 の商品レビュー
江戸の人びとが妖怪とどう付き合っていたか、をメインテーマにすえた一冊。 キツネは当然化かすものという常識、妖怪に仮託した批評、風刺など、瓦版、錦絵を通じて、丁寧に解説。やじうまの恐ろしさ、人びとの抱えていた闇など、妖怪から派生して興味深い指摘が多かった。
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本書は江戸時代の日記などに残っている、妖怪が絡んだ事件を紹介したもの。 中には、どこかで聞いた事があるような話も。 例えば「幽霊星」 八歳で子供を産んだという”とや”という少女の話。 (なぜかとは詳しく語られないが)その少女は翌年に死んで「星」になる。そして、その星を見た人は...
本書は江戸時代の日記などに残っている、妖怪が絡んだ事件を紹介したもの。 中には、どこかで聞いた事があるような話も。 例えば「幽霊星」 八歳で子供を産んだという”とや”という少女の話。 (なぜかとは詳しく語られないが)その少女は翌年に死んで「星」になる。そして、その星を見た人は、たちまち死んでしまうという。 「北斗の拳」の”死兆星”の話そっくり。 ・・・ではなく、この話、死なないで済むための”おまじない”が付いている。 ある”おまじない”をしておくと、うっかりこの星を見てしまったとしても大丈夫というオチになっている。 思い出すのは「口裂け女」を怯ませるキーワード「ポマード」 他にも学校の怪談でも似た話を聞いた事がある。 他にも出てくる妖怪の話は、まるで芸能人のゴシップネタのような感覚で語られているのが面白い。 現在は、ある一定レベルまでの教育は行き届き、夜は街灯や看板が煌々と街を照らし、「暗闇」が少なくなっている。 そのため、暗闇を跋扈していた妖怪たちもどんどん追いやられてしまった。 ・・・と思うのは早計で、かつて「妖怪の行い」という事にしていた事が「電気の振る舞い」に変わったなどと、説明する単語が変わっただけでは? 一見、現象が解明されたように見えても、突き詰めて考えれば、「妖怪の行い」と変わらない部分がある、 と言っていたのは、物理学者であり、夏目漱石の弟子でもあった寺田寅彦。 この言葉をつくづく考えさせられるのは、特に章を分けて紹介されている「アメリカからきた狐」 幕末、欧米列強の船が次々に日本に来た際、「妖怪」までも連れてきてしまった。 その「妖怪」とは伝染病の「コレラ」 この「妖怪」に「狐狼狸」という文字をあて、人々は「妖怪退治」にいそしんだ。 ところで、寺田寅彦が言ったような意味でなくとも「妖怪」を「心霊現象」とか「スピリチュアル」とかいう単語に置き換えると、今も十分、妖怪たちが跋扈していることが分かる。 (特に、とある業界には、一見、人間と見分けがつかない妖怪がたくさんいる。風に乗って空を飛ぶが「滑空能力」しかなく、弱点は「選挙」「金」) ちなみに江戸時代でも合理的な説明をする人もいた。ただし、少数派ではあったが・・・。 江戸幕府が倒れてから、たかだか140年ほどでは人はそんなに変わらないのだろう。 すくなくとも、ある面では。
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妖怪事件簿というので、江戸時代の怪異譚を羅列したものだと思っていたが、怪異事件を通して当時の人々と妖怪との付き合い方、当時の妖怪観を見ていく感じでした。 しかし、幽霊は信じないのに狐狸は信じる感覚は現代から見ると、理屈は分かってもの理解は出来ないです。 当時の理屈では解明できない現象や、人々の不安などに形と名前をつけて納得するための方便としての妖怪。 それは自然と人間との付き合いを円滑にするための調停者でもあったのかもしれません。 その関係が変わったとき、人間と自然の間の関係も変わってしまったのだと思います。
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そういうつもり(当時の人達が妖怪、妖異をどのように認識していたか)で読んだ訳ではなかったが、巷説百物語シリーズ(特に妖怪仕掛けが複雑でない”前巷説”や、文明開化の明治を舞台にした”後巷説”)のサブテキスト的内容だった。
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本書のタイトルである「江戸の妖怪事件簿」などという「金田一少年の事件簿」をもじったようなネーミングセンスは置いておくとして、妖怪と聞くと何を思い浮かべるだろうか。首長女だったり、天狗だったり、雪女だったり、そんなものが出てくるだろうか。その他にも数え上げればきりが無いほどたくさん...
本書のタイトルである「江戸の妖怪事件簿」などという「金田一少年の事件簿」をもじったようなネーミングセンスは置いておくとして、妖怪と聞くと何を思い浮かべるだろうか。首長女だったり、天狗だったり、雪女だったり、そんなものが出てくるだろうか。その他にも数え上げればきりが無いほどたくさんいることだろう。しかし、本当に存在するのだろうか。現在では妖怪などという超自然的存在を信じる者は全くいないだろうが、幽霊ならいまだに多くの人々から信じられているのではないだろうか。江戸時代の人々の間では幽霊と同じぐらい妖怪も根強く信じられていた。民俗学では妖怪のことを、信仰の普遍性が失われて落ちぶれてしまった神々の姿であるとされているが、本書に登場する江戸の人々からすれば妖怪の正体は狐であるとされていた。もし妖怪に出くわしたなら、それは狐に化かされているということだったのだ。 筆者はたしかな証拠や資料にもとずいて、さまざまな妖怪談を披露してくれる。いろんな意味で面白いので、ぜひとも多くの人に読んでいただきたい。
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[ 内容 ] 江戸の幕が閉じて、たかだか一四〇年にしかならない。 ところが、かつてのこの国には津々浦々、町にも村にも、いや野にも山にも水の中にも妖しきものどもが出没していた。 それを嘲笑する者ももちろんいたが、そのような態度は少数派であった。 人々は妖しき話を歓び、また恐怖した。...
[ 内容 ] 江戸の幕が閉じて、たかだか一四〇年にしかならない。 ところが、かつてのこの国には津々浦々、町にも村にも、いや野にも山にも水の中にも妖しきものどもが出没していた。 それを嘲笑する者ももちろんいたが、そのような態度は少数派であった。 人々は妖しき話を歓び、また恐怖した。 そして現代からみれば滑稽なほど、さまざまな化物譚を熱心に書き残した。 しかしこうした文書には、あながち一笑に付すことのできない、今の我われ日本人の心をも騒がせる不思議の魅力が満ち満ちている。 [ 目次 ] 1章 江戸時代は、妖怪でいっぱい! 2章 本木村化物騒動 3章 ゴシップとしての怪談 4章 狐の裁判 5章 妖怪のいる自然学 6章 アメリカから来た狐 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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