検定絶対不合格教科書 古文 の商品レビュー
教科書で提示される解釈を問い直す本です。一般的な教科書のなかで提示されている「模範解答」にバイアスがあることを指摘し、その模範解答とは違う読み方を紹介しています。教科書は、古文がもつ不明確さを解消するために、作品を「教材」として作り上げてしまいます。たとえば、宇治拾遺物語にあらわ...
教科書で提示される解釈を問い直す本です。一般的な教科書のなかで提示されている「模範解答」にバイアスがあることを指摘し、その模範解答とは違う読み方を紹介しています。教科書は、古文がもつ不明確さを解消するために、作品を「教材」として作り上げてしまいます。たとえば、宇治拾遺物語にあらわれる「児(ちご)」と「僧」の関係は、単にほほえましい話として取り上げられ、平家物語では木曽義仲の「恥」という観念は覆い隠され、巴御前への「思いやり」や「愛」の物語として教材に仕上げられる。これを前向きにとらえるなら、現代につながる普遍的なメッセージをもつものとして教えることで、伝統的な日本文化を理解させるための変換ということもできるでしょう。 しかし著者は、そこにある文脈の選別(フィルタリング)を問題視します。さまざまな要素を子どもたちに望ましくないとして退け、伝統的な日本文化を理解させようという選別の結果、そこで教えられるものはきわめて陳腐なものになっているのではないか。そしてその結果として、子どもも大人も古文に関心をもたないようになっているのではないか。著者の危機感は、著者の古文に対する歯がゆい思いが伝わってきました。 主張に至る論理などには気にかかるところがありましたが、面白い本でした。
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インパクトのある書名ですが、中身は至って真面目。 要は、「国の検定」を通って採用された教科書古文と、その指導要領に対する批判、というところ。 思うに、数学等他の教科と違って、古典も含め「文学」とは、様々な解釈の余地のある 正解のない学問。それが文学の面白いところでもあり、奥の深いところでもある。しかし学校で教えるとなると、解釈にある程度の方向性が必要となって来る。そこに「国家の意思」が入り込んでくる、というのが、著者の批判。(たぶん) わからないでもないのですが、それが「古典嫌い」の原因かというと「?」。私自身は古典は好きだったので。ただ、教科書検定というシステムには、そのような問題点があるということは理解できました。 「文学」「古典」といった、正解のないもの、非効率的で非生産的、一見役立たず、そういったものに、価値や豊かさを見いだせるかどうか、そこが 好き嫌いの分かれ目なような気がします。 内容について。 現行の教科書に載っている古典を読み直してみよう、という試みは、こんな解釈もあったのかと、なかなかに興味深かったです。「枕草子」の「雪のいと高う降りたるを」の段の解釈は、なるほど!と思いました。 また、「教科書に載らない古文」(つまりは国の方向性と相容れない)の章、「初めての体験ー『源氏物語』と『とはずがたり』から)は、興味津々ですけど、これ、やっぱり学校ではできないですよ(笑)こういうの、こっそり読むから楽しいのに。
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現状の国語教育(特に古典)を批判する趣旨の本。 わからないでもないし、定番の古典教材に新たな知見を加えた部分などは面白い部分もあったけれど・・・ 何と言うのか、これが現状の古典教育に置き換えられるほど価値が高く、面白いかと言われると、ちょっと・・・。 どちらかというと、現状を批判...
現状の国語教育(特に古典)を批判する趣旨の本。 わからないでもないし、定番の古典教材に新たな知見を加えた部分などは面白い部分もあったけれど・・・ 何と言うのか、これが現状の古典教育に置き換えられるほど価値が高く、面白いかと言われると、ちょっと・・・。 どちらかというと、現状を批判しただけ。現状の古典教育という文脈がなければ成立しないもの。 正典を批判する身振りをしながら、正典に依存しているのでは? それから、国語教育が性の問題を排除しているという批判も、食傷する。 十分準備をした教員が、精神的にある程度成熟した学生と議論するなら創造的な授業になるかも知れない。 そうでなければ、教条主義的な性についての題目を唱えて終わるか、ビミョ~な雰囲気になって気まずくなって終わるか、いずれにしても大怪我するだけだろう。 それから、記述が若干わかりにくい箇所があったのも残念。 こちらの読解力が足りないせいかと思ったが、何度読んでも意味が取りにくい箇所がある。 一つだけ指摘しておくと、「異なるものななり」の説明。 「ななり」のところに、まとめて傍線が引いてある。 それで「異なるものなるなり」(こちらは「なるなり」にまとめて傍線)と意味が違うのは、文法的知識が必要、という記述。 この直後に来るのが、例の、「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」なので、どうやら「な」または「なる」と、後続する「なり」、二つの助動詞の文法的意味の違いを言いたいようだとわかるのだが・・・。 それなら、「な」と「なり」「なる」と「なり」で分けて傍線を引くべき。 これだけの説明で、さらに、「ななり」「なるなり」両方にまとめて傍線を引いてあっては、音便化するかしないかで意味が変わるのかという誤読を誘ってしまうのではないか。 説明文の中でもっと言葉を尽くして説明すべきところなのに、と怒りを覚えた。 ☆一つにしたいところだが、面白いところもあったので、二つ。
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著者の主張もさることながら、 紹介されている作品の内容が面白く、 また、その引用の部分は活字が大きく、 読みやすい。 古文嫌いが古典文学好きに生まれ変われる本だ。
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研究者としておもしろいんだよなぁ、田中貴子。 で、こういうものの書き手としてもなかなか味わい深い。 きちんとした本だと思う。
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「図説百鬼夜行絵巻をよむ」と同一の著者である。 高校の教科書で、だれもが一度は読んだ経験のある文章を取り上げて、定説に疑問を投げかけ、「わかったつもり」を粉砕する! 次に、検定教科書には絶対に収録されないテーマの作品を紹介して、古典文学の新たな魅力に目を開かせてくれる。 ...
「図説百鬼夜行絵巻をよむ」と同一の著者である。 高校の教科書で、だれもが一度は読んだ経験のある文章を取り上げて、定説に疑問を投げかけ、「わかったつもり」を粉砕する! 次に、検定教科書には絶対に収録されないテーマの作品を紹介して、古典文学の新たな魅力に目を開かせてくれる。 全然堅苦しくないし、楽しめる本ですよ。 もう一度古文を読んでみたい人にはお薦めです。
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その昔、『土屋の〈古文〉』というシリーズがあった。“新しい科学(理科)教科書”シリーズは最近のトピック。他、古いところでは久野収の『検定不合格 倫理・社会』家永三郎の『検定不合格 日本史』も。
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