大陸横断ラリー in 1907 の商品レビュー
今からちょうど100年前の1907年,北京からパリまでの無謀なラリーが行われ,5台の自動車が参加しました。作り話ではなく実話です。この本は,イタリア人のボルゲーゼ公爵の車に同乗した新聞記者ルイジ・バルツィーニが書いたルポタージュです。 この本を読んでまず感じたのは,「道があ...
今からちょうど100年前の1907年,北京からパリまでの無謀なラリーが行われ,5台の自動車が参加しました。作り話ではなく実話です。この本は,イタリア人のボルゲーゼ公爵の車に同乗した新聞記者ルイジ・バルツィーニが書いたルポタージュです。 この本を読んでまず感じたのは,「道があるって素晴らしいことなんだ」ということです。ボルゲーゼ公爵たちは北京からパリまでの行程のほとんどで,道らしい道を走っていません。わざわざ道を外れているのではなく,そもそも道がないか,あっても自動車の通行に適さない悪路ばかりなのです。安心して走っているのは,ロシアを過ぎてドイツに入ってからだけです。それまでは,ゴビ砂漠やモンゴルの草原を電信線を頼りに走ったり,荷運びの苦力(クーリー)たちをたくさん雇って車を岩山へ引っ張り上げたり,泥沼のような道で車がスタックしたり,とにかく労力のほとんどを道との戦いに費やしています。 その中でも特に印象に残ったのは,シベリアの道のひどさです。当時,シベリアではロシア皇帝ニコライ2世のもとでシベリア鉄道が全線開通し,極東とヨーロッパを結ぶ大動脈となっていました。ところがこの鉄道のおかげで道を歩く(あるいは馬車で移動する)者はいなくなり,従来の陸路はすたれ,道は荒れ果て,川にかかる橋もほぼすべてが崩落するに任せていったのです。実際,ボルゲーゼ公爵たちも川を渡るのにシベリア鉄道の鉄橋を使っていますが,その後鉄道でない古い橋を渡ろうとしたら途中で崩れて車もろとも川に落ちてしまい,鉄道と道路の大きな格差を目の当たりにしています。 近代化していく地域と,取り残されていく地域。ボルゲーゼ公爵一行の通る場所全てでこの構図が見えてきます。そもそもこのラリーの発案地でありゴールでもあるヨーロッパが,モータリゼーションの進んだ近代化された場所であるのに対して,スタート地点の中国は清王朝のもといまだに旧来の風習にとどまり,自動車のような機械文明を拒絶している,という大きな差があります。20世紀初頭のいびつで不安定な世界を,機械文明の象徴である自動車で駆け抜けたボルゲーゼ公爵。しかし,牛や馬,さらには人力のような前近代的な力の助けがなくてはゴールまでたどり着けなかったわけで,彼の冒険は近代と前近代を結びつける意味があったのではないか……と思えます。 ちょっと残念だったのは,ボルゲーゼ公爵以外の参加者のことがあまり書かれていないことです。この本の作者がボルゲーゼ公爵と行動を共にしているので仕方がないのですが,ド・ディオン・ブートンやスパイカー,今もゴビ砂漠の下に眠るコンタルのことももっと知りたいです。調べてみるか。
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