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マニュファクチャリング・コンセント(1) の商品レビュー

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2020/09/27

マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 1 (和書)2013年04月07日 15:24 2007 トランスビュー ノーム・チョムスキー, エドワード・S・ハーマン, 中野 真紀子 この本は前から読みたかったので手に入って良かった。 ノーム・チョムスキー...

マニュファクチャリング・コンセント マスメディアの政治経済学 1 (和書)2013年04月07日 15:24 2007 トランスビュー ノーム・チョムスキー, エドワード・S・ハーマン, 中野 真紀子 この本は前から読みたかったので手に入って良かった。 ノーム・チョムスキーの姿勢というものが僕というものが自分自身を批判(吟味)するときに非常に役に立つように思う。 ノーム・チョムスキーさんの本をいくらか読んでみて、意志というものを考えさせられた。 何かの意志を感じるときがある。 そういった人間の意志というものが公共の場であり説明責任があるものであれば良いが、人間の内輪とか共同体のように一見、公共の場であるようにみえるだけで実はまったく意志の決定についての説明責任がないものとして存在するものがある。 それを「世間」ということができる。市民(理想としては世界市民)として参加されるものとして意思決定に説明責任を明確にもっている世間というものがあるのならボクはそれを真の世間といいたい。 しかしそれが説明責任のないものへ移しそれを予定調和であるかまたは何らかの目的があるが説明責任ができない邪悪なものであるものを負としての世間といいたい。 ボクはそういうものと明確に格闘した経験がある。だれだって多かれ少なかれそういったものに抵抗した経験もあるだろう。(逆に負の世間に参加された方も多かろう。ボクはそういったことをしたあとに激しい自己嫌悪と後悔を感じる。) そういったものを一人で抱え込むのには限界があるということを知った。それと同時にそういう人がいるということ、そういった人に共鳴する人が必ずいるということをノーム・チョムスキーの本は教えてくれるのだ。

Posted byブクログ