現代倫理と民主主義 の商品レビュー
p.37 しかしながら、現実にはいくら才能がある者でも、その成果を生み出す過程で他の人々の協力なしには、成果そのものが生まれないであろう。しかも、才能のあるなしは、けっして一元的な基準では論じられない。ある分野で才能のある者も、他の分野は苦手かも知れない。一般的な能力が低いと思...
p.37 しかしながら、現実にはいくら才能がある者でも、その成果を生み出す過程で他の人々の協力なしには、成果そのものが生まれないであろう。しかも、才能のあるなしは、けっして一元的な基準では論じられない。ある分野で才能のある者も、他の分野は苦手かも知れない。一般的な能力が低いと思われている者も、特別な分野で高い才能を持っていることもある。そして、大抵の事業は多様な才能をもった多様な人々の「相互的な」協同で成立するものである。だからこそ、その成果の分配にあたっては、貢献度に応じて一定の格差をつけたとしても、全体としては「共同のもの」として分かち合うべきなのである。 p.55 まず、政治的共同体の成員資格(membership)は、分配の正義において問題となる最も基本的な社会的財である。国籍や市民権をはじめ、相互扶助の共同体の成員資格は、それをもってこそ、安全と福祉、富、栄誉、公職、権力などの社会的財の分配を受けることができる。そして政治的共同体がその成員資格をどのように決定するかは、政治共同体の自治の中核である。だが、とりわけ、亡命者や移民、外国人労働者らの権利が問題となる。「成員資格の拒否は、つねに虐待の長い列の第一歩である」(p.62、108ページ(マイケル・ウォルツァー『正義の諸領域――多元主義と平等の擁護』))。政治的共同体は、その特性を持った共同生活をいかに維持し、かつ各個人に成員資格の権利をいかに保障するかを考慮して、その決定を行わなければならない。 p.81 功利主義では自由そのものは「効用」の計算において価値を与えられていない。しかも、功利主義では、快や要求を基準とするために、「権利剥奪」を正当にとらえることができない。長期にわたる不平等や不公正の犠牲者たちは、自分たちがおかれた状況に順応してしまって、それに不快を感じたり変革の要求を持つこともなく、自分たちの運命を受け入れ、ささやかな情けを受けただけで大喜びしてしまう。
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