骨董裏おもて の商品レビュー
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幸田露伴に「骨董」という作品があるが、それによると骨董とは「元来シナの田舎言葉で、字には意味がなく、ただその音を表しているだけである」そうだ。これでは、どうにもらちがあかないので、著者はもと東京美術学校長正木直彦氏の受け売りと前置きをして次のような説を紹介している。 「骨董とは中国の俗語で、ゴチャゴチャといろいろなものを雑然とかき集めたもの」(ゴッタ煮の料理を骨董羹という)と考えられていた。ところが、明の董其昌が『骨董十三説』というものを書き、その中で骨董という字の解釈をしている。それによれば、「骨はホネで、ホネは肉に包まれ、その上に皮がかぶさっている。その皮が擦り切れ肉が破れて中から骨が出て来る。即ち骨董の骨という字は上のかぶさっているものがとれたナカミと申しますか。シンと申しますか。あるいは本体とも本質とも申せましょう。」つまり、長年使い込まれたものだけが持つ味のようなものをいうが、ただ古いのでなく、使えば使うほどよくなるものでなければいけない。「董というのは、敷物のことで、以上申し上げましたような価値のある骨がその上にのせて飾られる、これが即ち骨董である」ということになる。 著者は「おわら」で知られる富山県八尾町(現富山市)に生まれ、十二歳で上京し日本橋神通薫隆堂に小僧奉公する。関東大震災後、盟友と二人で古美術店「壺中居」を創業、優れた収集家として知られ、そのコレクションはほとんどが東京国立博物館に寄贈されている。 小僧時代の辛い修業にはじまり、国宝級の銘物を掘り出すまでの思い出話が丁寧な口調で語られる。骨董商としてのあり方、人としての生き方をはじめ、名のある人物のさすがと思わせる逸話やその反面世に知られる人でありながら、人としてはどうかと思わせる行いまで、長年に渉る骨董を通してのつきあいの中で見てきた人間観察に味わい深いものがある。「物でなく人を買う」とか、「耳で買わず目で買う」とかの骨董商としての生き方は、単に骨董を商う人に限らず、あらゆる仕事に通じる秘訣であろう。 評者は、骨董については門外漢であるが、もともと値があってないような骨董の売り買い、その駆け引きについての話は素人にも充分面白い。日本各地はもとより、中国まで足を伸ばしての買い付け、またそれにふさわしい買い手を捜して売るところまでの話。骨董の真贋の見分け方、偽物造りの様々な方法など。その中には、わざわざその焼き物が出土した場所に数年間埋めておいてシミの出るのを待つというような息の長いものまであり、この世界の奥深さを窺い知ることができる。 たかが、骨董品。老人の昔話のようにとられがちだが、世界的な名品の売買ともなると国益にまで話は及ぶ。読みを誤って海外に流出した美術品についての思い出話はいまだに口惜しそうだ。国際交流の役割も果たす。海外からも賓客が来日するとその度に呼ばれ、コレクションの案内をする。ロックフェラー夫人をはじめ登場する人物がすごい。高橋是清、岩崎小弥太、梅原龍三郎、小林古渓と錚々たる顔ぶれ。 中国や韓国での使い道を知らず、便器や骨壺に使われていた陶磁器を有り難がって床の間に飾ったり花を生け悦に入ったりしている日本人の話がでてくる。自分とは異なる相手の国の文化をよく知る必要があるという外交の不文律をさりげなく教えてくれていたりもする。どこまでも謙虚な人柄がしのばれる気持ちのよい随筆集である。
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