運命論者ジャックとその主人 の商品レビュー
『ドン・キホーテ』のフランス流換骨奪胎、もしくは『トリストラム・シャンディ』に対する啓蒙主義からの回答。語られるべき会話は脱線し、名もなき主人とルソーと同名の従者ジャックの関係性は反転に反転を重ね続ける。著者は何度も顔を出しては茶々を入れ、想像と実在の人物を入れ混ぜる。個々の挿話...
『ドン・キホーテ』のフランス流換骨奪胎、もしくは『トリストラム・シャンディ』に対する啓蒙主義からの回答。語られるべき会話は脱線し、名もなき主人とルソーと同名の従者ジャックの関係性は反転に反転を重ね続ける。著者は何度も顔を出しては茶々を入れ、想像と実在の人物を入れ混ぜる。個々の挿話は残酷ながらも笑い飛ばされ、全ては天上にそう書かれているからと信仰とも諦観ともつかぬ決め台詞で煙に巻く。流暢な翻訳とよしながふみの表紙絵は、本書のもつ諧謔さを的確に表している。人生に本筋なんてあると思うなよ。一期は夢さ、ただ笑え。
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実際に本を手に取ってから、「ああ!ディドロ!ディドロとダランベール!!」と気が付いた。中学校?高校の授業で習った人か~。 で、到底読む機会なんか訪れっこない本を書いた人だとばっかり思ってたので、ほへーて感じでした。 最初の出だしは、なんじゃこりゃ???と面食らってピンとこなかった...
実際に本を手に取ってから、「ああ!ディドロ!ディドロとダランベール!!」と気が付いた。中学校?高校の授業で習った人か~。 で、到底読む機会なんか訪れっこない本を書いた人だとばっかり思ってたので、ほへーて感じでした。 最初の出だしは、なんじゃこりゃ???と面食らってピンとこなかったけど、確かに宿屋のおかみの話あたりから面白く読めた。 ポムレー夫人かっこいいな!
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新訳ブームである。村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をはじめ、少し前に出版された海外の文学作品が、新しい訳者を得ることで、新しい読者を開拓しているようだ。さらには、かつての読者が旧訳と新訳を読み比べる愉しみも付け加わる。いいことずくめである。この本も新しい訳が出なければ...
新訳ブームである。村上春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』をはじめ、少し前に出版された海外の文学作品が、新しい訳者を得ることで、新しい読者を開拓しているようだ。さらには、かつての読者が旧訳と新訳を読み比べる愉しみも付け加わる。いいことずくめである。この本も新しい訳が出なければ、手に取ってみる気などおきなかった類の本だ。 『運命論者ジャックとその主人』は、18世紀フランスの哲学者で、「百科全書」の著者ディドロが、主にヨーロッパの王侯貴族の間で回覧されていた雑誌『文芸通信』に連載した小説である。目的も行き先も定かでない旅の途上で話される逸話は滑稽譚あり、艶笑譚あり、復讐譚あり。語り手もジャックとその主人に旅籠のおかみもまじり、登場する階層も民衆、貴族、聖職者と様々。とりわけて筋らしいもののないおよそ小説らしくない小説というあたりが一般的な受けとり方だろう。 ところが、である。「プラハの春」勃発によりフランス亡命中のミラン・クンデラが、依頼を受けたドストエフスキーの戯曲化を蹴り、『運命論者ジャックとその主人』を選んだあたりから風向きが変わってきた(詳しくは丸谷才一氏が毎日新聞の書評で採り上げているのでそちらをお読み下さい)。反小説というのか、メタ小説というべきか、語り手が話者の役割を超えて、やたらにしゃしゃり出ては、聴き手(読者)と対話を始める。たとえば、書き出しからして次のようにはじまる。 二人はどんなふうに出会ったのですか?みんなと同じく、ほんの偶然に。二人の名前は?それがあなたになんの関係があるんです?二人はどこから来たのですか?すぐ近くの場所から。二人はどこへ行くところだったのですか?人は自分がどこへ行くのかなんてことを知ってるものでしょうか? 一貫しているのは、ジャックの恋愛話をその主人が聞くという構図だ。しかし、ジャックはおしゃべりなくせに同じ話を続けるのは嫌という癖の持ち主。聞きたがりやの主人はなんとか話を続けさせようとするのだが、話は、脱線を繰り返すばかり。脱線といえば、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』が有名だが、自伝の語り手が自分の出自を物語るために誕生ではなく、精子の射精から始めるという「トリストラム」と、自分の恋愛話を聞きたがる主人に、まず膝に受けた鉄砲玉の由来から語り始めるジャックは、たしかによく似ている。 スターンの影響を受けたのはたしかだと思うが、18世紀は百科全書的な知を求める啓蒙的な空気が漂いはじめた時代。何かを知ろうと思えば、徹底的に追及しなければ止まないという姿勢は両者に共通する時代の空気のようなものではなかったか。一つの挿話から別の挿話が始まるというスタイルは『千一夜物語』でも多用される「入れ子」状の階層構造だが、ウェブ上のテキストにリンクを貼るのも似たようなものである。「百科全書」執筆中のディドロはまさにそういう状態にあったと想像される。 『運命論者ジャックとその主人』という、主人より従者を先にしたタイトルのつけ方が振るっている。話の中で、不遜な従者に腹を立て、ベッドから降りろと命じる主人に対して、ジャックは従うどころか平然として、事実上は私こそが主人で、私がいなくては何もできないあなたの方が従者なのだと言い返している。事実、勃興するブルジョア階級に向けて書かれたディドロの『百科全書』は、フランス革命を準備したとも言われている。 話の中には聖職者の身でありながら次々と女を食い物にし、奸計を用いては難を逃れ修道院長にまで登りつめるユドソンや、男に振られたのを遺恨に思い、念入りに計画を練って復讐を実行するド・ラ・ポムレー夫人のような印象深い人物も登場するが、運命論者を自称しながらそれに矛盾した言動を繰り返すジャックとその主人の対話にこそ妙味がある。過度に情緒的になることを避け、一歩引いたところで事態を知的に眺める作者の姿勢がクンデラのような小説読みを魅了するのだろう。共同作業の翻訳らしいが、必要以上にくだけない自然な現代日本語に訳されていて読みやすい。
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ディドロといえば、18世紀の徹底した唯物論者で、理神論を唱えたために投獄され、出獄後は、ダランベールと共に編集責任者として『百科全書』を刊行。 晩年はロシアの女帝エカテリーナとの個人的な交流が知られる。 さて、『運命論者ジャックとその主人』は、地上で起こることは善いことも悪いこと...
ディドロといえば、18世紀の徹底した唯物論者で、理神論を唱えたために投獄され、出獄後は、ダランベールと共に編集責任者として『百科全書』を刊行。 晩年はロシアの女帝エカテリーナとの個人的な交流が知られる。 さて、『運命論者ジャックとその主人』は、地上で起こることは善いことも悪いこともすべて、天上にそう書かれているのだと信じているジャックとその主人は、旅をしているわけだが、 主人はジャックに自分の恋を話すように促し、ジャックも話そうとするが、さまざまなことが起こったり、たくさんの人が現れ、ジャックの恋物語は中断脱線ばかりしている。 だらだらと読むと話の脈絡が繋がらなくなり、難儀することにもなりかねないような『運命論者ジャックとその主人』だが、ディドロならではのユーモアや快活さがふんだんに盛り込まれ、従者のジャックと主人とのやりとりはまるで漫才のようである。
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あまりにもいきあたりばったりな展開に笑えた。 後ろから武器持った人が追いかけてくる!! ・・・・と思ったらそのまま追い抜いていってしまった! とか。 今の笑いに通じるものがたくさんあって楽しかった。 最後のオチは「そうきたかーー」と天を仰いだけど それも何だか許せてしまう。 (11.02.09) 遠いほうの図書館。 読書会1月の課題図書。 「鳥類学」読了を待って予約したら2月になってしまった。 (11.02.05)
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