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諸文明の内なる衝突 の商品レビュー

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2009/10/07

 ドイツ人の平和研究学者が、ハンチントンの「文明の衝突」論を批判する著作。ハンチントンの著作出版後、原著は2年後に出されている。ゼンクハースは、本書の中でハンチントンの文化本質主義を否定する。それぞれの文化、文明にはそれを規定する明確な基準があり、その元で一つにまとまっているとい...

 ドイツ人の平和研究学者が、ハンチントンの「文明の衝突」論を批判する著作。ハンチントンの著作出版後、原著は2年後に出されている。ゼンクハースは、本書の中でハンチントンの文化本質主義を否定する。それぞれの文化、文明にはそれを規定する明確な基準があり、その元で一つにまとまっているという一元的な文化(文化本質主義)を否定する中で、むしろその多元性に注目している。また彼は現代の問題の主軸は、文化が単一化(イスラームと西欧の対立のように)に向っているのではなく、むしろ近代化との対面によって諸文明内に今まで以上の多元性が生まれ手いる事だと指摘している。諸文明内に生じている多元性は、異なった価値観や利害で衝突している事は事実だが、安易に宗教的対立や文明間の対立と置き換えられている所に問題があると指摘する。そもそも、紛争の根底にあるのは経済社会的な要素であり、それは西欧化ではなく近代化(技術の導入、制度の見直しなど)により尖鋭化したもので、文化や文明の相違というものは、こうした格差や対立の過程の中で政治化、構造化されたものだと言う。つまり、現在の紛争は問題の核心部分に、宗教や民族、文化や文明の相違があるわけではないにも関わらず、これらの紛争を主導する政治勢力によってこれらが利用されているという見方である。  ゼンクハースの指摘は、冷戦後、民族問題や紛争を異なった文化、宗教、価値観、歴史、民族の下で必然的に生じるものであり、むしろ今までは冷戦によって抑止されていたのだという指摘に反論するものである。現在では、民族問題や紛争について「政治化された」や「構造化された」という言い方が付随する事が多くなっているように、問題の本質にはむしろ政治的意思決定への参加の不在や、人口数に見合った利益配分(民主主義)、経済的格差や差別などを是正する要求があるという見方が大多数を占めている。すると、現在の紛争や対立は新しいものではないのだが、ここで忘れてはならない事が、「近代化プロセス」の加速である。冷戦崩壊後の技術革新(より厳密には軍事技術の民間転用)や経済のグローバル化に伴う相互依存、国際レジームの性質変化、新しい規範や価値観の出現と後退などはかつてないスピードで世界を駆け巡っている。「近代化」のスピードの加速は、それに対応する社会により一層大きなインパクトを与える。そこで多元性がより一層増え、中にはより一層多様性を攻撃的に利用する勢力も生じるのである。  ゼンクハースの議論と主張は、冷戦後の国際政治を考える上で特に興味深いが、彼は「近代化プロセス」は今に始まった事ではないし、欧州においても現在の価値観や社会、制度を手に入れるまで何度となく対立と和解を繰り返して来たと述べる。つまり、近代化は西欧化ではないので、西欧モデルの世界化プロセスではないが、近代化プロセス自体は既に他の世界よりも西欧の方が先に経験して来たはずなので、現在の対立や問題点を排他的な視点から一元論として見ずに、近代化プロセスの多元化の一過程と見つつ、対話をする必要があると指摘する。ここに来て気がつく事は、セングハースは歴史主義者(機能主義者)、あるいは近代化論者であるということである。西欧モデルが彼らの進む道ではないだろうが、ただ文化、文明は違えども近代化への対応は同じだとする彼の見方は、文化本質主義を否定する一方で近代化本質主義であるという批判は免れないのではないだろうか?

Posted byブクログ