境界性の人類学 の商品レビュー
境界線上の文化におけるアイデンティティの構築は、文化と政治の両方の側面の影響の中に成立する。或いは文化のみをとって沖永良部島のアイデンティティを論ずることはできない。沖永良部島は、日本国内における琉球文化圏という一つの枠と、さらに細分化された行政、 歴史上 の差異によってその沖縄...
境界線上の文化におけるアイデンティティの構築は、文化と政治の両方の側面の影響の中に成立する。或いは文化のみをとって沖永良部島のアイデンティティを論ずることはできない。沖永良部島は、日本国内における琉球文化圏という一つの枠と、さらに細分化された行政、 歴史上 の差異によってその沖縄と異なるアイデンティティを構築している。スコットランドやカタルーニャ独立問題が再燃する中で、自分達のアイデンティティを考える沖縄人に問いかけうる部分もあろう。
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歴史的構築主義によって描き出される境界性アイデンティティの考察。「アイデンティティは,統一されてものではなく,ミラーボールのように多面的であり,状況によってその部分的側面がスポットライトをあびて照らし出され,しかも,そもの多面体は,時間の流れの中で,常に変化と生成のプロセスにあ...
歴史的構築主義によって描き出される境界性アイデンティティの考察。「アイデンティティは,統一されてものではなく,ミラーボールのように多面的であり,状況によってその部分的側面がスポットライトをあびて照らし出され,しかも,そもの多面体は,時間の流れの中で,常に変化と生成のプロセスにあり,固定されない」。アイデンティティの脱構築というのはやや時代を感じざるを得ないが,ネイティブだからできる仕事ではある。文化人類学というのは正直良く分からないので,もう少しアイデンティティ概念を練り上げて欲しかったなというのは,思想系ゆえの無い物ねだりか。 アイデンティティ論は古くさいようでいてむしろ現在性のある問題だと思う。特に二重の外延に位置する奄美にとって。しかし,著者も指摘するように奄美というのは大和と琉球の二重の否定において生まれる意識であって,その内部には大島を中心とした中心/周縁構造が畳み込まれている。それを拡げて見せたところにこの研究の意義のひとつがあるのだけれども,それをアイデンティティとすることの意味を深めていくことが必要なのだろう。
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