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ワルシャワ・ゲットー日記 の商品レビュー

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2018/02/05
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大国に囲まれ、地図上から消えたこともあるポーランド。でもその国内には更に虐げられたユダヤ人がいた。 筆者はワルシャワのユダヤ人。日記は第二次世界大戦の勃発する1939年9月1日から始まる。「ダビデの星」令の施行により実質的なゲットーができ、1年後には物理的なゲットーが成立する。続く11月のゲットー封鎖。飢餓、迫害、そして移送。日記は1942年8月4日で唐突に終わる。 自分たちに起きたことを世界に後世に残すーーー客観性の高い筆致に著者の使命感が透ける。ただ、ヘブライ語から英訳を経て翻訳されたせいか、淡々とし過ぎている嫌いもあるのが正直なところ。

Posted byブクログ

2015/10/17

ポーランドの湯田や人を襲った途方もない大破局は、ユダヤ民族の歴史の中でもっとも暗かった時代にも前例がない。第一に、ユダヤ人に向けられる憎悪の根深さ。それはたんに政党の綱領に由来するとか、政治的目的のために作り出された、というものではない。それは感情的な憎悪であり、ある種の精神的病...

ポーランドの湯田や人を襲った途方もない大破局は、ユダヤ民族の歴史の中でもっとも暗かった時代にも前例がない。第一に、ユダヤ人に向けられる憎悪の根深さ。それはたんに政党の綱領に由来するとか、政治的目的のために作り出された、というものではない。それは感情的な憎悪であり、ある種の精神的病幣に起因している。はっきり目に見える形をとるとき、それは生理的な憎悪として働く。すなわち憎悪を向ける相手を身体の汚れとみ無し、仲間内から隔離されるべきハンセン病患者のように考える。大衆はこの種の憎悪を同化吸収した。彼らの理解力では、イデオロギーに基づく憎悪は把握できない。心理学は彼らの能力を超えており、理解することができない。征服者どもがポーランドのユダヤ人の本性と強靭さを見誤ったのは、幸運だった。彼らの間違いがユダヤ人を今日まで生き延びさせてきた。ユダヤ人は論理的に考えれば既に死に絶え、自然の法則によれば完全に絶滅しているはずだった。ある共同体の全員がこの世のどこにも居場所を持てないならば、どうやって生きていけるのか。ユダヤ人には職がなく、行動は全て制限され、がんじがらめに縛りあげられている。しかし、ユダヤ人はここでも自然の法則を乗り越える。ユダヤ人にはある見えない力が働き、この秘密の力が、あらゆる自然の法則に逆らってユダヤ人を生かし、守ってくれる。すなわち、許されていることだけで生きられなければ、禁じられたことで生きていけばよい。これはユダヤ人にとって決して恥ではない。許可事項も禁止事項も、共通の協定に基づいている。この秘密の力は、ユダヤ人に奇跡をっ引き起こす。明らかにユダヤ人の中に自殺者はいない。ドイツのユダヤ人は崩壊し、没落した。彼らは恐怖にとらわれ、彼らの生き抜こうとする力はたちまち消え失せた。キリスト教へ改宗しても何ら救いが得られないとわかったとき、ドイツのユダヤ人は死ぬしかないと思い込んでしまった。オーストリアのユダヤ人も同じである。しかし、叩きのめされ、恥辱にまみれ、打ち砕かれたポーランドのユダヤ人は全く違う。彼らは生を愛し、自分の寿命が来る前に地上から消え去ろうなどとは思わなかった。ポーランドのユダヤ人の間から自殺者が出なかったことはとりわけ注目に値する。誰が何と言おうと、恐ろしい惨禍の中でも生き続けようとするこの生への意志は、何かはわからないが、ある隠された力の発露だろう。これは驚くべき無上の力であり、ユダヤ民族の中でも最もよく組織された共同体だけに恵み与えられたものである 。 ナチスがユダヤ人に与える恐怖には、3つの種類がある。第一に銃殺の恐怖。どんな微罪であろうと、命令に違反したユダヤ人には、銃殺の刑が適用される。警告も、審理も、裁判もないままに。第二の恐怖は、殴打である。ユダヤ人が自分の仕事のことを考え、通りを歩いていると、突然ナチがそのユダヤ人に襲い掛かり、呆然と見つめる通行人の眼前で、足腰が立たなくなるほど激しく打ち叩く。ナチがユダヤ人に向けて指を曲げるしぐさをしたら、それはすぐにこっちへ来いという命令であり、その後には情け容赦のない殴打を覚悟しなければならない。第三の恐怖は、精神的な虐待であるが、当然のことんがら、それには身体への暴力が伴う。ナチはユダヤ人を侮辱して屈辱を与えるあらゆるやり方を考えだし、それを娯楽にしていた。それらの中で最も典型的なものが、顎鬚を剃り落すことであった 。

Posted byブクログ

2012/08/10

日記。 しかも以前出版された上下巻を 1冊に再編されている。 70年前、 第二次世界大戦中のポーランド、 ワルシャワゲットー。 残されるべき記録・記憶。 「かつて、父ネイムラーは、すべてがあまりに遅すぎたことを嘆いて言った。 最初、それはユダヤ人だった。しかし、わたしはユダヤ人で...

日記。 しかも以前出版された上下巻を 1冊に再編されている。 70年前、 第二次世界大戦中のポーランド、 ワルシャワゲットー。 残されるべき記録・記憶。 「かつて、父ネイムラーは、すべてがあまりに遅すぎたことを嘆いて言った。 最初、それはユダヤ人だった。しかし、わたしはユダヤ人ではなかったので、 何も抵抗しなかった。 次に、それは労働者だった。しかし、わたしは労働者ではなかったので、 何も抵抗しなかった。 次にそれはカトリック教徒だった。しかし、わたしはカトリック教徒ではなかったので、 何も抵抗しなかった。 次に、それはわたしだった、 しかし、わたしはあまりに遅過ぎたのだ!」 編・英訳者の緒言にある言葉。

Posted byブクログ