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醜い日本の私 の商品レビュー

3.8

16件のお客様レビュー

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2009/10/04

個性的な観点から書かれているけど、それがとても興味深いのです。 「クレーマー」なんですが、説得力があるんです。 「きれいに使っていただいてありがとうございます」の分析にかなり共感します。 ”「美しい国」が好きな人には、読んで頂かなくても結構です” こう言い切ってしまう作者が、す...

個性的な観点から書かれているけど、それがとても興味深いのです。 「クレーマー」なんですが、説得力があるんです。 「きれいに使っていただいてありがとうございます」の分析にかなり共感します。 ”「美しい国」が好きな人には、読んで頂かなくても結構です” こう言い切ってしまう作者が、すごく好きになりました。

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2009/10/07

「変な人」が書いた本。 日本人は美に敏感で、細かな心遣いを持ち合わせている(らしい)。しかし、それ故に溢れる「醜さ」がある。 <「美しい国」が好きな人には、読んで頂かなくても結構です。> と、書いてあったので、思わず手に取ると「戦う大学教授」こと中島義道の新作でした。...

「変な人」が書いた本。 日本人は美に敏感で、細かな心遣いを持ち合わせている(らしい)。しかし、それ故に溢れる「醜さ」がある。 <「美しい国」が好きな人には、読んで頂かなくても結構です。> と、書いてあったので、思わず手に取ると「戦う大学教授」こと中島義道の新作でした。 「音漬け社会」を扱った『うるさい日本の私』の延長線上にあり、今作では景観・接客・日本人的態度の「醜さ」にまで対象を広げた一風変わった日本文化論。 「感受性ファシズム」に対する感受性のマイノリティである著者の極端な不快感と問題意識を表明している。 具体的には、 電線や原色にあふれる街並みや、優雅にデザインされた建物の形を破壊する看板の氾濫といった景観の醜さと、それに気付かない美に敏感な人々の鈍感さ。 客に対して卑屈すぎる「奴隷的サービス」。 実効を伴わない「バカ管理放送」など を取り上げている。 著者のような人が身近にいたら、はっきりって煩わしくて仕方がないだろうが、言ってること自体は間違いじゃないと思う。(極端すぎると感じる一方で、概ね納得はできる。) 特に終盤、「言葉を信じない文化」には同感する点が多かった。 個々の事例は批判的に感じても、あとがきには納得する人も多いのではないでしょうか。最終章とあとがきだけでも読む価値アリだと思います。 やや自嘲気味でいて、尚かつ饒舌。読んでいて面白く、具体例や体験談にはおもわず笑いも・・・。

Posted byブクログ

2009/10/04

中島さんは『うるさい日本の私』以来のおつきあいである。『醜い日本の私』もそうだが、タイトル初めの"うるさい"も"醜い"も「日本」と「私」の両方にかかる形容だそうな。分かってはいたけど。 基本的には先に紹介した『うるさい日本の私』の続々編であ...

中島さんは『うるさい日本の私』以来のおつきあいである。『醜い日本の私』もそうだが、タイトル初めの"うるさい"も"醜い"も「日本」と「私」の両方にかかる形容だそうな。分かってはいたけど。 基本的には先に紹介した『うるさい日本の私』の続々編である。著者の思想を知るにはまずはこの本が最初であるかと思う。おざなりな同情をすることはあっても、決して多くの人とは共有することのできないマイナーな感受性の提起こそこの本の狙いである。読み進むうち、世に存在する終わりのない問題と通底することに気付くだろう。   隠された意図に気付いたらもう最後。どんどんこの著者の本を読みたくなる。 他の本にはもっと毒がたっぷり盛ってありますぜ。

Posted byブクログ

2009/10/07

この国では、人々は客になったとたん、ふんぞり返り、自分にかしずくばかりのサービスを相手に要求するのだ。我が国の客はサービスに対して、多分世界で一番要求が高い。  自分を表面的に知っている人々に対しては思いっきり気を使い、だから嫌なやつに遭遇してもとっさににこにこ顔で挨拶するのだ...

この国では、人々は客になったとたん、ふんぞり返り、自分にかしずくばかりのサービスを相手に要求するのだ。我が国の客はサービスに対して、多分世界で一番要求が高い。  自分を表面的に知っている人々に対しては思いっきり気を使い、だから嫌なやつに遭遇してもとっさににこにこ顔で挨拶するのだが、その世間の外に位置されるに人間に対しては、その分だけ全くの無関心を貫く。儀礼的無関心  言葉を定型的に使うべきことを骨の髄まで学んでいる。つまりそれにいささかの疑問を感じない日本国民は嘘に対してすこぶる寛大である。なぜなら真実より大事なものがあるからであり、それは対立をさけることである。対立をさけるためにはどんな嘘でもつくというのが平均的日本人のあり方であろう

Posted byブクログ

2009/10/04

日本は美しい国ではなく、醜い国だ。過激な表現だが、電線などに汚された街、騒音が溢れている街、その他サービスや言葉遣いなど、日本の醜いところを挙げている。少し偏執的だが、理解できる面も多い。

Posted byブクログ

2009/10/04

美しい日本という馬鹿げた言葉を多分電通と一緒に考えた脳細胞のなさそうな総理大臣はさておき、この時世にわざわざ「醜い日本の私」という本が出た。タイトルは基本的に賛成。日本が美しいなんて間違っている、という基本的なところで賛成。中島義道著、新潮選書。 途中までは楽しく、そうそうおかし...

美しい日本という馬鹿げた言葉を多分電通と一緒に考えた脳細胞のなさそうな総理大臣はさておき、この時世にわざわざ「醜い日本の私」という本が出た。タイトルは基本的に賛成。日本が美しいなんて間違っている、という基本的なところで賛成。中島義道著、新潮選書。 途中までは楽しく、そうそうおかしいよ、で読めるのだが、哲学を振りかざしたあたりから議論が歪んで来る。前提がよくない。この著者はその場ごとに自分の立場と議論の土俵をすり替えていくのだ。おかげでけっこう賛成して読んでいても反対に回らざるをえなくなったりもする。問題は問いかけの方向性にあると思う。 日本は電柱があって景色が汚いと言う。圧倒的に賛成。人々が気にしないのが判らない、と著者は言う。子どもの頃から見慣れた風景なのだ、誰もそうは思わない。「明日のジョー」だって曲がった電柱の列がないとさまにならない。確かにそうだ、と思う。しかし問題の源泉を問う気が著者にないのだ。電柱には既得権益があって、それを逃す気は電力会社にもNTTにもない、ということだ。特に今の時代に電柱を撤去し、地下に埋めた場合、今後相当に簡単に利益を生むはずの無線LAN絡みの事業を見直さないといけない。著者はこういう撤去しない理由にはまったく言及していない。電柱が空中に立っていることで得られる既得権益がある限り、撤去したくないのは当然であり、美観論争の前にこれが存在しているのだ。(都市化の早い段階で撤去し、共同溝を作った都市ではインフラはそこに集中させるように動いているが、日本ではその動きは遅かった。) 電柱はなくしてほしいと思っているのはマイノリティではない。この本はこうした基本的な視点がずれている。普通の人々はもっと著者に近い。しかしインフラ側が遠いのだ。 垂れ幕、標語についてもそうだ。行政がインフラと同じ対応をしていて、既得権益を逃さないように動いている。問題はむしろここにあって、美観論争ではないところに原因がある。ここについてこの本はかけらも論じていない、いや、触れていない。 挙げ句、読んでいけばわかるのだが、著者は堂々と自らクレイマーであると公言している。しかもその発言を読む限り、素直なクレイマーではなく、嫌なクレイマーを演じる自分が好きなようだ。これはもう閉口だなあと最後の方では感じていた。このおっさん自身が醜いのも確かだと思った。 でもそれはもう合わせ鏡のようで、日本の醜さとこのおっさんの醜さが見事に照らし合わされてひとつの形になっている。さて、読み終えて、明日も渋谷のセンター街を通り抜けて職場へ向かう。あの道は本当に醜い。

Posted byブクログ