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漱石の夏やすみ の商品レビュー

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7件のお客様レビュー

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2019/04/30

第52回読売文学賞 木屑錄訳◆漱石と子規◆「漢文」について◆日本人と文章◆木屑錄をよむ◆木屑錄活字版 著者:高島俊男(1937-、相生市、中国文学)

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2018/10/15

『漱石・子規書簡集』を読んだらば是非これも読むべし! と云う1冊。これも聖書(バイブル)みたいなものです。 しかし、著者の表現を借りるならば、漢詩の読みについては毒されているので、その辺の細やかな解説がすっ飛ばされて進んでいくので、こりゃあ自分でも勉強し直さないとだ…と愕然とも...

『漱石・子規書簡集』を読んだらば是非これも読むべし! と云う1冊。これも聖書(バイブル)みたいなものです。 しかし、著者の表現を借りるならば、漢詩の読みについては毒されているので、その辺の細やかな解説がすっ飛ばされて進んでいくので、こりゃあ自分でも勉強し直さないとだ…と愕然ともさせられました。読むんじゃない、感じろ!って云われても(笑) 若かりし頃の漱石は可愛いなあ。

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2013/09/23

13082 まさか後半、漢文の勉強になるとは思わなかったよ。 ブログ「セーシュンは人生の夏休みだ!」(こんな本を読んだ。) いやー、終わりましたね夏。 子どもの頃は長ーい夏休みが楽しみでしたが、大人になってしまうとせいぜい一週間程度のお盆休みをとるくらい。 しかも僕...

13082 まさか後半、漢文の勉強になるとは思わなかったよ。 ブログ「セーシュンは人生の夏休みだ!」(こんな本を読んだ。) いやー、終わりましたね夏。 子どもの頃は長ーい夏休みが楽しみでしたが、大人になってしまうとせいぜい一週間程度のお盆休みをとるくらい。 しかも僕などは殺人的暑さにおそれをなしてほとんどどこへも出かけず、冷房の効いた部屋にこもりっぱなしでした。 去りゆく夏を惜しみながら今回取り上げたのは高島俊男『漱石の夏やすみ』(ちくま文庫)です。 文豪夏目漱石が23歳の学生時代の夏に学友らと房総方面を旅した体験をつづった「木屑録」。 原典は漢文で書かれていますが、著者高島氏はこれを分かりやすく現代語訳、そして詳細な解説をつけています。 この「木屑録」は漱石が親友であった正岡子規にあてて書いたものとされています。旅先でものした詩や軽妙な文章を、同じ文学をこころざす子規に披露する様子に二人の友情が感じられ、微笑ましくなります。 また旅の空で浮かれ騒ぐ友人たちの輪から少し離れ「文学とは、人生とは」と思索にふける自らの姿も漱石は木屑録に書き残しています。やや誇張気味な感じもありますが、若き日の漱石青年、日常を離れた旅先で少しおセンチになっているようです。異郷の情景を詠んだ自作の詩も青くささがプンプン。いやー若いっていいなー。 「オレは文学を追究しなければならないのに、こんなところで無為に過ごしていていいのだろうか・・・?」そんな焦りが随所に顔を出し、理想に燃える若者ならではという感じです。 著者高島氏は「木屑録」を解題しながら、既成の漢文解釈に疑問も投げかけており、漱石からやや離れますが漢文全般に対する興味深い論評ともなっています。 たしかに高校で習った漢文て堅苦しくてとっつきにくいイメージがありましたもんね。高島氏はこれをもっとくだけた表現にしてみてはと提言しています。 若き日の漱石が残した習作「木屑録」には、軽妙さを装いながらも真剣に悩む若者の姿がかいま見えます。それは時代を隔てたいまも同じでしょう。 社会に出るまぎわの二十歳前後の頃というのは、その後の山あり谷ありの人生を前にした、夏休みにあたる時期なのかもしれません。ついダラダラ過ごしてしまう夏休みと同じように、若かった頃は無駄に送ってしまったと僕らは後悔してしまいがちですが、その膨大なムダの中にその後の人生で役に立つものが何かしらあるのではないか・・・そう思いたいもんです。(http://rcnbt698.blogspot.jp/2013_09_01_archive.html)

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2011/10/26

 学生時代の漱石が友人四人と夏の房総旅行をした。漱石は道中記を漢文で書き,親友子規に示し,子規は批評をつけて返した。この漢文紀行「木屑録」を通して,日本人と漢文の関係について考える。第五十二回読売文学賞受賞作。  筆者の見かたは,外国語をむりやり日本語化した漢文などは,畸形の文章...

 学生時代の漱石が友人四人と夏の房総旅行をした。漱石は道中記を漢文で書き,親友子規に示し,子規は批評をつけて返した。この漢文紀行「木屑録」を通して,日本人と漢文の関係について考える。第五十二回読売文学賞受賞作。  筆者の見かたは,外国語をむりやり日本語化した漢文などは,畸形の文章であり,いまさら学ぶ値打ちはない,漢籍にも和訳が出ているし,どうしても原文を読みたければ現代中国語を勉強してからにすればよろしい,というもの(筆者は元漢文教師なのですが)。漢文論だけでなく,漱石と子規の交友や明治の知識青年の雰囲気についてもよくわかる解説をしていて興味深い。  木屑(ボクセツ)とは,本来おがくずのことだが,漢文脈で「木屑」といった場合は,「竹頭木屑」の故事を真っ先に思い出さなくてはいけない。晋の陶侃が,船を造るときでたおがくずをとっておいたら,雪が降ったときぬかるみ防止に思いがけず役立ったという故事だ。不用の文章だが,とっておけば後々役に立つことがあるかも知れぬ,というある種の諧謔が木屑録という題にはこめられている。内容も,半分ふざけて言葉遊びを楽しんでいるような感じ。  漢文とはすなわち,中国語である。しかも話し言葉ではなく,文語である。その漢文の字面を見ながら,日本語に翻訳していく手続が訓読である。訓読の始まる前,平安のはじめころには,漢文をあたまから現地の音に従って読み,そのまま理解していたらしいが,次第に日本語の文法にそって,語順を変えたり,同じ意味の和語すなわち訓をもちいたり,テニヲハや活用語尾を補ったりして読み下すようになった。どの漢字にどの訓をあてるか,語順をどのように変えるか,等は規則化され,ついには白文から機械的に訓読文を得るようになった。そうして日本人は,得られた訓読文を見て,その文章の内容を理解するに至った。  これは例えばI love you. という字面に接し,それぞれ「ワレ」「アイ」「ナンヂ」と訳語をあて,「ハ」「ヲ」「ス」を補い,さらに返り点をうって,ワレハナンヂヲアイスと読み下し(ここまで機械的),それをもって意味内容を把握するというようなもので,先人は随分と妙なことをしてきたものだ。しかも,読み下すといっても自然な日本語になるわけではなく,漢文調といわれる硬く荘重な感じの文章になる。木屑録のようなおどけた文章も含め一律に重々しい文章になってしまうから,はなはだ都合が悪い。  長いこと日本人は,自分たちの話す言葉よりも,漢文を高級なものと考え,それを文章の模範としてきた。かなを使った文章なんて女子供の書くものとして,知識人からは軽視どころかほぼ無視されてきた。かな文学は,江戸時代に本居宣長などが国学をおこしてようやく再評価されたにすぎない。再評価をしたのもごくごく一部の人間にすぎず,幕末までは,文章といえば漢文でしかなかった。日本人が日本人に読ませるためだけに書くのに,外国語をつかっていたというのはかなり倒錯している。明治の一時期,指導層育成には英語が使われ,この際英語を国語にしようという議論もあった。しかし,他方で言文一致運動があり,これによってようやく文章としての日本語が成立,文学等を通じてこちらが国民に普及していく。それでもまだ長い間公文書は漢文調だった。  中国の文語は簡潔を好む。前後の文脈で明らかなら,時制も表現しないし,主語も略す。かと思えば,リズムをよくするために「而」などのあってもなくてもよい助字を挿入する。また対句を好み,文章のバランスを重視する。であるから,ある漢文がなぜそのような表現なのかを考えても,外国人にはまず理解できない。それぞれの漢字を中国語でどう発音するかを知らないと,そのように漢字を並べた必然性が分からない。日本には固有の文章というものがなかったのだから,やむを得なかったとはいえ,このように複雑な背景を背負った外国語を漢文として取り入れ,消化してきた。驚くべきことだ。のみならず日本の知識人は好んで漢詩まで作った。詩とは韻文,すなわちリズム・歌である。母語とは音韻構造が全く異なり,しかも周りの誰も本当の発音を知らない外国語で詩をつくるわけであり,ものすごいことだが,そんな詩作に果たして意味があるのかないのか。  そんなこんなで,漢文や漢詩を単純にいいな,と思ってしまうのは,ある意味幻想にすぎないのかも。ただ,畸形といっても,やはり日本人が長い時間をかけて育ててきた文章形式の一つ,大事にしてきた人が多いことは事実。そういった経緯にこそ価値があるともいえそうです。

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2010/06/28

高島先生の文庫本も残り少なくなってきた。さみしい。 例によって難しい内容をやさしく明快にそして痛快に書いてくれている。素晴らしい。どうしたらこういう文章が書けるようになるんだろう。

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2010/05/19

夏目漱石の房総旅行を記した「木屑録」の解説と小気味の良い口語訳。 漢文だとか夏目漱石だとかお堅い文学に対してアレルギーがある人も多少は楽しめて、教養のある読書人を自負する方の読書にも耐える内容であると思う。

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2010/03/26

明治10年代にもなると何もかもが西洋西洋で日本人の魂はどうなるのか。という知識人の危惧の声が出てきたことである。 言語とはひとが口で話し、耳で聴く者である。文字はその言語がかみの上におとした影にすぎない。したがって文字はいったん音に還元されてのち、ひとに理解される。 漱石は英語を...

明治10年代にもなると何もかもが西洋西洋で日本人の魂はどうなるのか。という知識人の危惧の声が出てきたことである。 言語とはひとが口で話し、耳で聴く者である。文字はその言語がかみの上におとした影にすぎない。したがって文字はいったん音に還元されてのち、ひとに理解される。 漱石は英語を学んで英文学者になった。まじめな勉強家である。英文を読むことはもとより、話すことも書くことも間違いなく一番だった。にもかかわらず自分は英文学をほとんどわかっていないと漱石は感じ続けていた。

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