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使える現象学 の商品レビュー

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2017/06/08

著者のマッチョで権威主義的な思想がいたるところに透けて見える。そうした思想は肝心の本論で全面的に表現されており、本書自体が世界の解釈を定式化し、固定化し、世界そのものを殺す努力そのものとなっている。現象学ってそういうものだったのかという新たな発見であった。

Posted byブクログ

2012/06/10

現象学の教科書として、あらわされた一冊。とはいえ、フッサールやらヤスパースやらの現象学についてあれこれ記されている、というのとは趣が異なっている。「使える」現象学であるので、そういう理論は抜きにして、現象学的な記述手法などが事細かに記されている。例えば、通常の我々は、「非反省的」...

現象学の教科書として、あらわされた一冊。とはいえ、フッサールやらヤスパースやらの現象学についてあれこれ記されている、というのとは趣が異なっている。「使える」現象学であるので、そういう理論は抜きにして、現象学的な記述手法などが事細かに記されている。例えば、通常の我々は、「非反省的」に生きている部分が多い。あまり考えずにその場その場で行動している。それこそ路を歩いているときの脚の動きなどには気を払わない。しかし、後から、この足の動きへ思いをめぐらせることはできる=「反省的」といった具合である。かくして、我々は自らの行動などをより精しく捉えることができる。X=対象、Y=直進的or非反省的な指向性があったとするならば、X←Yによって、我々の通常の指向性が明示され、更に、(X←Y)←Z=反省、と据えたならば、我々の反省的な指向性が明示されたと言えるだろう。更に、指向性というものはいくつもの種類がある。①措定性(意図すること、評価すること、信じること)。②体験すること→②(1)直接的(予期すること、想起すること、知覚すること)②(2)間接的(a)言語的(b)非言語的(絵画的、指示的)。といった具合に指向性は分類されるが、これが重複することもあれば、ここに時制=過去、現在、未来が混ざることもあるし(過去の段階で未来を予期する、未来の自分を想起する、など)、虚構性なども含まれるためにかなり実際の記述は複雑となる。また、措定、というのは、哲学には「信じる」ということであり、体験とは別種のものである、として区分けされる。例えば、何かしらのイメージを頭で捉えるこれは体験的である。知覚も同様である。想起も過去のことに思いを馳せる、わけなのでこれはやはり体験である。といった具合に、体験していることと、それとは関係なしに成立するのが措定、なのである。そして、措定はあまり時間と関係がないだろう。それは有る意味で理論的にすらなっている物事なのである。自分が、例えばピーマンが嫌いだとして(嫌いじゃないが)、この嫌いとは内的な評価であり、これとは別にピーマンが身体によいという事実が明らかであればそれは外的な評価である。しかし、それを信じるかどうか?というところで措定性同士の問題にもぶつかるし、そのピーマンを食べるときにいかに知覚したか?あるいは、かつてピーマンを食べたときの記憶を想起して、これを食べたくないと意図して思わず顔を背けたなどというときなどはかなりの要素が盛り込まれた記述となるだろう。といったように現象学というのは、「こうあるべきだ」という自然物理科学は無視して、自分が感じたままのことを感覚に寄り添ってより詳細に記述していく作業なのである。そして、恐らく、レスターアンブリーは上述の指向性の分類をアプリオリのものとしようとしているのだろうが、自分にはこれが網羅し切れているのかどうか?ということには確信が持てない。しかし、確信がもてないからといって投げ出してしまえば、現象に迫ることはできないのだろうとも、思われる。

Posted byブクログ