主語を抹殺した男 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
著者はカナダで日本語を教えている。三上文法で説明するとわかる。(著者)日本語に主語はいらない けしだ、日本語文法の謎を解く こ、英語にも主語はなかった けあし (三上)象は鼻が長い あだ、×現代語法序説、山田文法、文化史上より見たる日本の数学。「は」は主語ではなく、トピック提示というのは首肯できる。「については」の略と言える。
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「象は鼻が長い」の三上章氏に私淑してやまない著者が、その「日本語に主語は要らない」論を唱えた天才的かつ孤高の国語学者の生涯にスポットを当てた評伝です。 業績以外の生涯をなぞることに若干の違和感は覚えつつ、昭和初年から約70年を生き、当時の「権威」に立ち向かった反骨の人の物語、大...
「象は鼻が長い」の三上章氏に私淑してやまない著者が、その「日本語に主語は要らない」論を唱えた天才的かつ孤高の国語学者の生涯にスポットを当てた評伝です。 業績以外の生涯をなぞることに若干の違和感は覚えつつ、昭和初年から約70年を生き、当時の「権威」に立ち向かった反骨の人の物語、大変面白く読みました。
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三上を世に広めた金谷氏の業績は大きい。三上は最後に正気を半ば失って病に倒れたとのこと、天才の宿痾なのか。惜しい。
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例として、オレの日記から一文だします。 >今日は快晴、自転車日和。会社について、やれやれと顔の汗をぬぐった。台ふきだった……orz さて、この中で「主語」はどれだ? 最初の「今日は快晴」の「今日」は主語でいい? でもこの「は」は、「が」で代行できないぞ。次の文は? ...
例として、オレの日記から一文だします。 >今日は快晴、自転車日和。会社について、やれやれと顔の汗をぬぐった。台ふきだった……orz さて、この中で「主語」はどれだ? 最初の「今日は快晴」の「今日」は主語でいい? でもこの「は」は、「が」で代行できないぞ。次の文は? 「が」も「は」もナイ……「私は」が省略されてるってことか。「台ふきだった」にいたっては、はたして「文」といっていいもんだろうか。 よいのである。そもそも日本語において「主語」というものはないんである。ということを主張したのが、三上章。在野の研究家として画期的な仕事をしながら、学説としては無視に近い扱いを受け、死後に再評価されているというこの日本語文法研究家の伝記が、本書なのだ。 興味深く読んだが……いちばんおもしろかったのは、「評伝」の部分ではなく、著者が体験を交えて三上文法を紹介する第1章。外国人に日本語を教える際、どうしても日本語の文法をうまく説明できなかった……そこで三上文法に出会い、疑問が雲散霧消したという。上の例で言えば、「今日」は主語ではなく、"主題"であって、「いいですか、これについて話しますよ」程度のものである。そして、「は」でしめされた主題は、文を越えていくのだと。 つづく、外国人に「三上文法で日本語を教える」という一節は、日本人でありながら目から鱗がぼろぼろと落ちる。「日本語には動詞の活用(人称変化)がありません」「日本語には、名詞文(赤ちゃんだ)・動詞文(泣いている)・形容詞文(可愛い!)の3つしか構文がありません」「『は』は主題を示します、『が』は『に・で・と・を』とかといっしょです」「英仏語は『する言語』ですが、日本語は『ある言語』です」……いやまぁ、これだけ書いてもわかんない? でも、おもしろいんだよ。なるほどーって思うんだよ。 日本語にはそもそも「主語」はなかった……ということは『近代日本語の思想―翻訳文体成立事情』(柳父章)を読んだときに知ったことではあった(「は」を「主語」として「。」で終わるというのは、翻訳日本語の影響なんである)。がしかし、この本を読むと、なかったはずの主語を「作り出した」というのは錯覚で、日本人はあいかわらず「主語なんてない世界」に住んでいるのだということになる。うはー。なんだか、自分の言葉遣いがいっぺんに「これでいーのか?」と怪しくなるような、不思議な感覚だよう。 ……と、ここまで書いてきたけれど、『評伝』の部分にはぜーんぜん触れてないので、本のレビューとしては失格だなぁ。もちろん評伝部分もたぶんイケてるんだとおもうけど……あまりそこは自信なし。やはり「三上章」本人に興味がある人でないと、楽しめないだろうなーと。私にとっては、最初の60ページだけでも、たいそうおもしろかったです。
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残念ながら挫折。前半は、日本語の話と著者の思いで話が半々です。かなり大胆に断言するところがそこここにあります。 読みやすくはあります。
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日本語には主語が必要なのか? 日本の文法はS+V+O と言った具合になっているのか? 私たちは「国語」の文法を、 英語の文法を習い始めた後に、英語の文法のように、習ってきた。 そんな気がする。恐らく、そうなのだ。 「主語を抹殺した男――評伝 三上章」(金谷武洋著、講談社)は ...
日本語には主語が必要なのか? 日本の文法はS+V+O と言った具合になっているのか? 私たちは「国語」の文法を、 英語の文法を習い始めた後に、英語の文法のように、習ってきた。 そんな気がする。恐らく、そうなのだ。 「主語を抹殺した男――評伝 三上章」(金谷武洋著、講談社)は そんな「国語」の文法を、日本語の文法として考えなおそう、と 「土着主義」の「街の語学者」が闘い、倒れていった姿を追った評伝だ。 < 筆者の金谷は、’51年に北海道に生まれ、函館ラサールから 東大に進み、国際ロータリークラブ奨学生としてカナダに留学、 そこでカナダで「日本語を教える」ことになる。 そこで疑問にぶつかる。 「ジュ・テーム」を日本語でいえば「私はあなたを愛しています」。 だけど、本当に日本語で、そんなことを言うだろうか? 「愛しています」ということはあっても、だ。 文法的には合っていそうなのに、実生活では言わないに違いない。 主語は省略されているのか? 疑問の前に立ち止まっていた筆者に解決の糸口を与えたのが 三上章の文法。「象は鼻が長い」という妙なタイトルの本と 『現代語法序説』という文法の入門の本だった、という。 日本語は、英語やフランス語の語法とは構造が異なる――という主張だ。 英語やフランス語の動詞は、主語が決まらないと、決まらない。 三人称・単数・現在形といった動詞の活用には、仮に省略されたり、 隠されたとしても、主語の存在が不可欠だ。 これに対して、日本語に、その必要があるのだろうか。 「は」「が」という助詞が、「主語」につかなければならにのか? 三上の文法を研究して、金谷は「日本語に主語はいらない」 さらに「日本語文法の謎を解く」「英語にも主語はなかった」との 成果を生み出していく。英語やフランス語にしても、 現在は、必ず主語が必要だが、西欧古典語には主語がなかった、との 知見に到達する。 そこで、金谷は、三上の評伝を書くに至る。 ’03年(明治33年)、広島県の甲立という田舎に生まれ、土地の素封家にして 「天才」としての育ち方をしていく。大叔父の和算の研究家として知られ 「文化史上より見たる日本の数学」で世界に和算を知らしめた 三上義夫を持ち、自身も理数系へ進んでいく。 山口高等学校に主席で入学するものの、数ヶ月で自主退学、京都の三高に進む。 ここで後の京大山脈と称される、今西錦司、桑原武夫らと切磋琢磨の時代を送る。 今西理論の源流にある「土着主義」は三上に啓発されるところが大きかった、という。 大学は東京へ出て、工学部の建築学科を卒業、台湾総督府に就職する。 が、これも辞して朝鮮、日本の旧制中学の数学教師を歴任する。 この台湾時代に、三上は早川鮎之助の名前で処女論文「批評は何処へ行く?」を 書き、これが雑誌「思想」に投稿し、入選した。 この時期、三上にもう一つの出来事があった。 ゴーゴリの『狂人日記』の英訳を読んでいて「私がその王様なのだ」と直訳できる ロシア語の文章が「I am that King!」と英訳されているの読んだときに 心中にこう叫んだという。「この”私が”は主語ではない。補語だ!」と。 三上の文法との出会いが、ここに始まったのだという。 評伝は、三上の歩みに寄り添いながら、時に強引な我田引水を含みながらも その思い入れがよく伝わってくる。 三上の新しい文法の提言は、歯牙にもかけられない。 「学校文法」は、東大の橋本文法の流れが揺らがず、なお三上への反論すらない いわば黙殺だった。これが三上への、さらなる苦痛となっていく。 一度目のスランプを救ったのは、金田一晴彦だったが、二度目には 芥川龍之介と同じ睡眠薬で辛うじて不眠を乗り越えていた中で、狂気に近くなる。 支え続けた妹の茂子さんが不在であったボストンで限界を超えてしまった。 文法の細かなことは分からないが、 素朴に思っていた、英文法から国語の文法を借りてくるような違和感への 答えであるようには思う。 筆者の一生懸命さに、最後まで 読み通した。
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朝日新聞07年1月21日書評欄 「発表された当時は〜学界からほとんど無視され」 「反骨精神の固まりであった三上は、虚栄を嫌い、学際的教養にあふれた一種の奇人」 「でも晩年は、自説が孤立する無力感も手伝って〜〜」
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日本が生んだすぐれた文法学者三上章の評伝である。金谷氏はカナダの日本語のクラスにおいてぶつかった問題が三上文法によって氷解したことに感激し、三上を顕彰するために三冊の本を書き、そしてここに評伝を書きあげた。ここには三上に心酔し、三上の不遇に同情する気持ちが十分に表れてはいる。し...
日本が生んだすぐれた文法学者三上章の評伝である。金谷氏はカナダの日本語のクラスにおいてぶつかった問題が三上文法によって氷解したことに感激し、三上を顕彰するために三冊の本を書き、そしてここに評伝を書きあげた。ここには三上に心酔し、三上の不遇に同情する気持ちが十分に表れてはいる。しかし、わたしには金谷氏の三上に対する思い入れがあまりに強すぎて、それが淡々とした記述を時にはばんでいるような気がする。かといって、ほかの誰かがこれだけの評伝が書けるかわからないが。たしかに三上は生前不遇であった。就職してうまくいっていた職場であったのを、義理で他に移ったばかりにうまくいかなくなったというケースは何度もある。最後に久野に呼ばれて赴いたハーバード大でも、必携の睡眠薬を忘れたり、また生活能力のないことを自覚していながら妹をつれていかなかったりと、ちぐはぐな人生がここでも露呈してしまっている。 三上は確かに主語を否定しようとしたが、それは「が」が他の格と変わりがないと言いたかっただけで、晩年は主格の優位性も主張したのではなかったのか。そんなことはここでは触れられていない。
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