学者のウソ の商品レビュー
著者の掛谷英紀(ひでき)氏は1970年生まれの情報工学者で筑波大学の准教授である。東京大学理学部で生物を学んだ後、大学院で情報系に転向し、1998年に東京大学大学院博士課程を修了。その後、通信総合研究所(現・情報通信研究機構)の職員を経て、2001年に筑波大学の講師となり、今に至...
著者の掛谷英紀(ひでき)氏は1970年生まれの情報工学者で筑波大学の准教授である。東京大学理学部で生物を学んだ後、大学院で情報系に転向し、1998年に東京大学大学院博士課程を修了。その後、通信総合研究所(現・情報通信研究機構)の職員を経て、2001年に筑波大学の講師となり、今に至る。 著者は本書で、ゆとり教育を擁護した論陣への批判、少子化対策を推進した学者への批判を展開している。前者は「ゆとり教育批判への反論」に対する批判であるから話が複雑だが、著者は「ゆとり教育は失敗だった」と主張する。後者は少子化対策を推進した学者の恣意的なデータ処理に対する批判であるが、要は「少子化対策は失敗だった」と主張する。 本書を読んで「批判は難しい」とつくづく思う。例えば「神の存在証明」に対して、「根拠が薄い」とか「証明が甘い」と批判する。それを言うのは簡単だが、「批判するなら対案を示せ」と言われると苦しい。「より確かな根拠」や「厳密な証明」を示せるなら、あるいは「神の非存在証明」ができるなら「完璧な反論」と言えるだろうが、普通それは難しい。
Posted by
超おススメです。 自分の立ち位置を明確に意識して、では、右・左はどうなのかということを、筋道というして論じている。 非常に筋の通った話ばかりで、そこが良い。 https://seisenudoku.seesaa.net/article/477777841.html
Posted by
いわゆる御用学者のつくウソをたくさんの例で示していくれている。その上で、学者のあるべき姿を提示するとともに、学歴エリートの問題点に話が移っていく。テレビにでている学者や東大卒と言われるだけで、信用している人に一読を勧めたい。 絶対終身刑となった人が精神異常になってしまったというス...
いわゆる御用学者のつくウソをたくさんの例で示していくれている。その上で、学者のあるべき姿を提示するとともに、学歴エリートの問題点に話が移っていく。テレビにでている学者や東大卒と言われるだけで、信用している人に一読を勧めたい。 絶対終身刑となった人が精神異常になってしまったというスウェーデンの例は驚いた。こういう人にとっては、死刑になるほうがましなのだろうか?
Posted by
内容に全面的には、賛成できない面もあるが、「言論人の詭弁」や「学問の方法」を考える上で良書だと思います。 話題になった新書類などが、検討されているので読みやすいですね。 ひとつひとつの事項についての検討に関しては、少し時間がかかりそう…。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
2007年刊。初っ端は、理工系的科学観から文系的な非科学的側面を批判するだけの陳腐な書か、と思わされたが、新聞広告・テレビCM批判の辺りから俄然面白くなってきた。殊に「納得のコミュニケーション」の項は膝を打って読了。ここの叙述は、まさに対立当事者間のウィン・ウィンの追求だからだ。ただし、好結果の招来が稀という現実に加え、著者が都合のよい設例を持ち出した可能性はなきにしもあらず。一方、真理追求を強調する方にありがちだが、文系的な説得技法、すなわち、討論・弁論を通じてベターな選択をする点も軽視しすぎの感。 予測不可能ないし困難なテーマの場合、あるいは著者が非線形的だとする問題に対し、なおかつ、何らかの解決策を選択するには、見解対立を持つ者の間で、弁論・討論及び証拠を提出し、ベターな選択(ベストの選択は不可)をする手法しかとりえない場合が多い。政治は、理念的にはそのような過程を経て決定されることが期待されているのだろうし、議会制や司法制度はこの理念に則っている(もっとも、現実の政策決定が理念どおりになっているわけではない点は承知している)。この弁論や討論の意義にあまり触れられていないのは残念。
Posted by
Sun, 01 Nov 2009 学者をやっている人間なら,「学者」の世界に必ずしも「真実への奉仕者」としての学者の姿以外の生活的,社会的,権威的,経済的,政治的成分が紛れ込む実態にそこはかとなく気づいたりする時があります. 一般の方は,逆に「専門家の言うことは絶対に正しい」...
Sun, 01 Nov 2009 学者をやっている人間なら,「学者」の世界に必ずしも「真実への奉仕者」としての学者の姿以外の生活的,社会的,権威的,経済的,政治的成分が紛れ込む実態にそこはかとなく気づいたりする時があります. 一般の方は,逆に「専門家の言うことは絶対に正しい」というような,権威付けに基づく認識バイアスを持たれている事がある. そんな,認識を改める,ある種の啓蒙書としてこの本はなかなかいいのではないだろうか?ちなみに,世の中自体に「絶対に正しい」って言説は(まず)ありません.はい. 理系のウソ,文系のウソといったように,ドメインを分けながら議論している. 帰納主義の困難,非線形の罠というところで,なかなか,的を射ていた,世の人にはあまりちゃんと認識されていないだろうという話を突いている. 一昔前は,こんな話題は「科学哲学」の人か,「統計学」(もしくはその延長線上にある機械学習)の人でもないかぎり,あまり触れられない話題だったかもしれないが, 実証科学が持つ,これらの困難を知らなければ 「私達人間はどこまで科学に頼って良いのか?信頼して良いのか?」 を見誤ってしまう. 現代で,科学に関わらない人は既にいない. みな,どこかで科学による実証の成果や,言説を消費者として利用している.それが,変に「権威化」することで,学者のウソ が生まれるのだろう. 本書で一番ヒドイものの一つと指摘される(本書だけじゃないけど・・・)のは女性学での統計操作などである. データ捏造は 自然科学者の方が,操作したかしないかが明らかなために,取り上げられやすいが 社会,経済的データからの操作はよりたやすい. 官僚的,権威的,政策的な影響を狙う学問では,既存のデータを,取捨選択することで「自分の主張したい事をはき出す」操作が可能となる. 政治に学者がからむのは昔からある話だが, 結局,そこに対して責任をとるのかどうかが, 政治家と学者の違いだ. 諮問委員会や審議会に入った学者やデータを出した学者が訴追される事は少ない.それって,民主主義のゆがみじゃないだろうか. 著者は別に科学倫理の専門家というわけではないようなので 細かい部分についてはおいておくとして, なかなか,分かりやすく,問題点を指摘している,いい本だとおもいました.
Posted by
自然科学においては基本的に予測する主体と予測される客体が干渉しないことを前提としている。 しかし社会科学において、むしろ問題となるのは、予測が与える社会的影響を言い訳に使うことである。つまり、ある種の予測をしておいて、それが外れた場合、自らの予測で社会の関心が歓喜され、その予測結...
自然科学においては基本的に予測する主体と予測される客体が干渉しないことを前提としている。 しかし社会科学において、むしろ問題となるのは、予測が与える社会的影響を言い訳に使うことである。つまり、ある種の予測をしておいて、それが外れた場合、自らの予測で社会の関心が歓喜され、その予測結果が回避されたと主張sるやり方である。
Posted by
これも仕事の関係で再読。そしてこれも名著だと気づく。 いやまあ、ところどころちょっと論理が飛躍しているように感じたり、事実認識が危ういところもあるんだけど、全体的にとても知的に誠実であり、かなり納得度の高い記述。 相手を罵ったり冷笑したりする論戦の書もそれはそれで面白いのだけど...
これも仕事の関係で再読。そしてこれも名著だと気づく。 いやまあ、ところどころちょっと論理が飛躍しているように感じたり、事実認識が危ういところもあるんだけど、全体的にとても知的に誠実であり、かなり納得度の高い記述。 相手を罵ったり冷笑したりする論戦の書もそれはそれで面白いのだけど(呉さんとか山形さんとか僕も好きなんだけど)、そういう本ってなんだか読者まで頭がよくなった気になって、一知半解の知識で冷笑的な態度を真似しちゃって恥かく、という副作用があると思うんだよね。 だから論争における王道はやっぱこういう態度であるべきだよね~、と改めて思う。いや、実に名著。
Posted by
言論責任保証というのは初めて知った。有効な制度だが、認知度が低いうちはほぼ無力に等しいだろう。また、マスコミの既得権益による巨大なウソは看過できないものだが、いつの日か崩壊するのだろうか?やはり誰かがTV局を買収するしかないのかも。官僚の予算取得のみが目的化されたウソもどうしよう...
言論責任保証というのは初めて知った。有効な制度だが、認知度が低いうちはほぼ無力に等しいだろう。また、マスコミの既得権益による巨大なウソは看過できないものだが、いつの日か崩壊するのだろうか?やはり誰かがTV局を買収するしかないのかも。官僚の予算取得のみが目的化されたウソもどうしようもない。
Posted by
[ 内容 ] 権威ある学者や学歴エリートたちによるウソは、メディアなどによって流通し、多くの問題を起こしている。 そのような詭弁や強弁を含む言説に対して、どのように向き合えばいいのだろうか? 本書は、ゆとり教育や少子化問題など多くの論点を通して文系・理系の学者やメディアのウソを暴...
[ 内容 ] 権威ある学者や学歴エリートたちによるウソは、メディアなどによって流通し、多くの問題を起こしている。 そのような詭弁や強弁を含む言説に対して、どのように向き合えばいいのだろうか? 本書は、ゆとり教育や少子化問題など多くの論点を通して文系・理系の学者やメディアのウソを暴き出し、本来の学問への道すじを示すことを試みたものである。 [ 目次 ] 第1章 学者のウソ(住基ネット論争のウソ ゆとり教育のウソ ダム論争のウソ 理系学者のウソ 文系学者のウソ ウソが生まれる背景) 第2章 本来の学問(自然科学の方法論 自然科学の困難 文系学問の困難 ポストモダンの学問) 第3章 学歴エリート社会の罠(マスコミエリートの倫理破綻 エリートによる「弱者ごっこ」論法 利己主義の暴走 既得権益としての学歴エリート 道具化する倫理) 第4章 ウソを見破る手立て(学歴エリートに騙されない方法 言論責任保証の試み 新たな技術が社会を変える) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
Posted by
- 1
- 2