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認知物語論とは何か? の商品レビュー

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2010/01/10

「語る」とはどういうことか、「物語」とはどのような現象なのか。この遠大なるテーマを文学理論の立場から、認知という枠組みを通して論じた論文集が本書です。 しかし、あとがきで著者自身が述べるとおり、内容はすこぶる難解と言わざるを得ません。第一に、著者のいう「認知」が示す射程が全く異な...

「語る」とはどういうことか、「物語」とはどのような現象なのか。この遠大なるテーマを文学理論の立場から、認知という枠組みを通して論じた論文集が本書です。 しかし、あとがきで著者自身が述べるとおり、内容はすこぶる難解と言わざるを得ません。第一に、著者のいう「認知」が示す射程が全く異なります。著者は、物語文法モデルや状況モデル、関連性理論などの従来の理論を「計算論的物語論」として批判することから論を始めます。これら古典的な認知心理学におけるテーゼ「人間は情報処理をする系である」では、現象をとらえることはできないとするのです。問題となるのは「情報処理をしている主体」であり、「身体をもった」認知主体こそが物語という現象を理解する鍵になるということです。なにをもって認知というのか。この問題は、私には意識論やクオリアといったテーマと絡み合ったものとして立ち現われてくるようです。 その上で著者が提示するのは、作者・語り手(=物語テクストを発していると想定されている存在)・登場人物・受け手(=テクストが想定する読者)・テクストを実際に読む読者といった、すべての認知主体が関与する現象としての物語です。全体像を素描する方法は、夏目漱石や筒井康隆、村上春樹といった具体的テクストの分析。文学研究についての知識がまるでない私にはすこぶる難解でしたが、解釈、スキャニング、視点と参照点、時制などの構成要素がとても鮮やかに提示されていたと思います。 本書の前提知識となる認知言語学、日常言語学派、社会構築主義などの諸理論をもたない私にとって、そのあとの論を読むのは苦痛ですらありました。しかし、本書で発せられた問いはとても重く感じられました。「心」の実体性も構築性も否定し、それらを内部観測が導き出した局所的なものとした認知物語論。彼らから提示された「認知」という問いに、人間の内的過程と行動とを解明しようとする心理学はどう応えるのか。いやむしろ、テクストからではなく認知主体の心的過程から現象を捉えるという方法論をもって、文学との相補的関係を築くことが、心理学の進むべき道ではないか。私には、その筋道がおぼろげながら見える気がします。 (2008年6月入手・2009年5月読了)

Posted byブクログ