萩原朔太郎『郷土望景詩』 幻想 の商品レビュー
先日、群馬県前橋に帰郷した際、故郷の書店にて司修という版画家の著した「萩原朔太郎『郷土望景詩』幻想」を購入した。 萩原朔太郎が郷土を謳った詩に、インスピレーションを得た画家の司修が作画化したものとなっている。詩集に添えられた単なる挿絵集ではなく、もっと濃密な司修的世界が、そこに...
先日、群馬県前橋に帰郷した際、故郷の書店にて司修という版画家の著した「萩原朔太郎『郷土望景詩』幻想」を購入した。 萩原朔太郎が郷土を謳った詩に、インスピレーションを得た画家の司修が作画化したものとなっている。詩集に添えられた単なる挿絵集ではなく、もっと濃密な司修的世界が、そこには表出されていて、読む者たちを独特な郷愁の世界へと誘って行く。 最も虜とされ、何度もページをめくってしまうのが、朔太郎の「中学の校庭」という詩と司修の画とがコラボレートしたページである。 中学の校庭 (萩原朔太郎) われの中学にありたる日は 艶めく情熱になやみたり いかりて書物をなげすて ひとり校庭の草に寝ころび居しが なにものの哀愁ぞ はるかに青きを飛びさり 天日直射して熱く帽子に照りぬ。 旧制中学の校舎とその横に不安定に佇む青年。シルエットとして表出された青年は、まだ幼くも見えてしまうが、左ページの建物は校舎という存在そのものを遥かに越えて佇む、青春期の迷宮的世界。永井苛風的表現を借りれば、精神的ラビランスである。そんなラビランスの世界に舞い戻って、過去の時間を歩いてみたい欲望に駆られてしまうのである。 この1冊に出遭ったことから、おいらの見る夢の世界も少々様変わりしてきたことを感じている。朝目覚めたときに記憶している情景は、郷土のこうした校舎をモチーフとしたラビランスではなかったかと、確信を強くしているのである。
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