本の遠近法 の商品レビュー
高階秀爾 「 本の遠近法 」 文化論や芸術分野の本を紹介した本。一冊の本は 別の本を読むことで 奥深さを知ることができる というアプローチ 文化と文明の違いに納得 *文化=地域固有の習俗や価値観等 *文明=都市で誕生し地域を越えて拡がるもの 読みたい本が増えた *網野善彦...
高階秀爾 「 本の遠近法 」 文化論や芸術分野の本を紹介した本。一冊の本は 別の本を読むことで 奥深さを知ることができる というアプローチ 文化と文明の違いに納得 *文化=地域固有の習俗や価値観等 *文明=都市で誕生し地域を越えて拡がるもの 読みたい本が増えた *網野善彦「日本とは何か」 *丸谷才一「日本文学史早わかり」詞華集を目安にした時代区分 *古橋信孝「平安京の都市生活と郊外」 *立岩次郎「てりむくり」日本建築の曲線 *小西甚一「俳句の世界」 *諏訪春雄「北斎の謎を解く」北斎の道教信仰、仙人願望 *榊原悟「江戸の絵を愉しむ」視覚トリック *山本健吉「いのちとかたち」 古橋信孝「平安京の都市生活と郊外」 *平安京は外廓城壁を持たない *日本では城壁の代わりに郊外という緩衝地帯を設けた 立岩次郎「てりむくり」 *てり と むくり が繋がった形状=凸と凹のなめらかな反転曲面=神社仏閣の軒先の唐破風 *軒の反りは 本来直線であるものに反りの曲線を与えたもの→しなやかな形に惹かれた日本人の感性 網野善彦「日本とは何か」=日本の多様性の論証 *命題は 日本民族の均質単一性の否定、農業中心説の否定 *縄文人と日本人の連続性を支えるのは 文化 丸谷才一「日本文学史早わかり」 *詞華集を目安にした時代区分 *選集の内容と背景、批評態度の変遷〜文学と社会の媒介としての詞華集を通して〜伝統の継承と変容 *日本人の美意識や価値観の特質
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丸谷才一によれば、よい書評にはいくつかの条件がある。まず、簡潔明瞭に内容を紹介しなければならない。次に、数多ある他の本の中からそれを選んだ理由を明らかにしつつ、でき得れば読者に新しい知見を持たせる。しかも、読者を愉しませる藝がなければならない。これだけの条件をクリアするのはさすが...
丸谷才一によれば、よい書評にはいくつかの条件がある。まず、簡潔明瞭に内容を紹介しなければならない。次に、数多ある他の本の中からそれを選んだ理由を明らかにしつつ、でき得れば読者に新しい知見を持たせる。しかも、読者を愉しませる藝がなければならない。これだけの条件をクリアするのはさすがに難しい。だから、巷には書評は数あれど、はたと膝を打つものは少ない。しかし、ここにその条件を楽々とクリアした本がある。 物事がくっきり見えてくることを喩えて「目から鱗が落ちる」というが、『本の遠近法』こそ、まさにその言葉通りの印象を読む者に与えてくれる。書評といえば、書評なのだが、本そのものを紹介するというより、書かれていることから著者がインスパイアされた新しい着想について述べたものといった方がより正確かもしれない。一つ一つの章は独立しているのに、微妙に絡み合いながら進行する。喩えていえば、世界を渉猟して吟味された食材を、腕のいい料理人がフルコースに仕立ててみせたようなものである。 世の中には常識的に信じて疑わないものがある。しかし、普通の人には見ていても見えないものが、見る眼を持つ人には見えるものらしい。たとえば「伊勢神宮は本物か」などという問いかけをされれば、大方の人は何を今さらばかなことをと、問いそのものを一蹴するだろう。しかし、建築当時の部材が何パーセント以上残っているかによって、正当性が保証される世界遺産の選定基準によって眺めてみれば、遷宮行事により、二十年に一回建て替えられる伊勢神宮の場合、現在建っている神宮は本物のコピーということになる。 ふだん何の不思議も感じていないことが、新たな光を当てられることによって眼前に浮かび上がってくる。高階がここでやろうとしているのは、ロシア・フォルマリズムでいう「異化作用」なのだ。そして、そこで異化されているのは、日本文化というものである。日本人である限り、至極当然のこととして理解している日本文化を、該博な知識と精密な批評眼で選んだ書物によって照らしだし、その西欧世界にはない特質を明らかにしてみせる。 一例をあげよう。「てりむくり」という形がある。てりは「反り」ともいう。むくりはその反対。つまり、霊柩車や銭湯の屋根でよく見かける、あの形である。「唐破風」などと呼ばれもするのでてっきり中国伝来の形かと思っていたら、中国にも韓国、東南アジアにもない、日本のオリジナルなんだそうな。日本列島を太平洋岸を上にして置き直すと、てりむくりの形になる。網野善彦にも同じ向きにした地図の使用があったことから、網野史観に飛ぶ連想の鮮やかさ。 国号のなかった縄文時代には日本はなかったという網野史観に「ゲーテはドイツ人ではないのか」と啖呵を切り、丸谷の『日本文学史早わかり』を引きながら、東西二つの異なる文化を持つ王権が勢力を争った時代にあっても、「歌の道というただ一点において人々は共通の価値観で結ばれていた」と、日本という国の存続を、文化の力に置こうとする。 第一章で、木田元の「ハイデガー」本を紹介しつつ、人間は他の生物とちがい将来を先駆し、既往を反復する唯一の生物であるとし、その「世界内存在」の意味を、「人間は、時間の中に生きることによって、直接の『環境』を超えたより高次の『構造』のなかに存在することになる。それが『世界』というものである」と要約している。 高階は、木田がハイデガー解釈を通して西洋哲学史の相対化を試みているというが、そういう高階自身が、この本の中で、直線的な時間軸を生きる西欧的な世界観に対し、時間と空間に区別を立てず、型や儀式の持つ「反復」性を採用することで、西洋とは異なった独特の文化を持つに至った日本という国をあらためて想起させることで西洋的価値観の相対化を図ったように、評者には思われたのであった。
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2007年06月24日 次は何を読もうかなぁ、と恒例の図書館内の無目的散策をしていた時に見つけた本です。この本がいかに私にとってタイムリーであったかは言うまでもありません。様々な分野に属するであろう本の数々が次々と、筆者の高階秀爾先生の見解を交えつつ紹介されていきます。 当...
2007年06月24日 次は何を読もうかなぁ、と恒例の図書館内の無目的散策をしていた時に見つけた本です。この本がいかに私にとってタイムリーであったかは言うまでもありません。様々な分野に属するであろう本の数々が次々と、筆者の高階秀爾先生の見解を交えつつ紹介されていきます。 当書の魅力は、紹介された本を読みたくなるばかりでなく、知的欲求そのものが恐ろしいほどの激しをもって掻き立てられる点でしょう。 これからも読む本が、読む内容がたくさんあることはこの上ない幸せです。
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