黒澤明vs.ハリウッド の商品レビュー
芸術と娯楽産業、そのはざまに言語や慣習の齟齬が生まれ黒澤明ハリウッド進出の道は閉ざされる。フォックス社長のダリルとの共鳴、真摯に作品に向き合ってくれたエルモとの確執、クロサワは何を想い何を諦めたのか、数々の資料から読み解いていく過程はまさに "藪の中" である...
芸術と娯楽産業、そのはざまに言語や慣習の齟齬が生まれ黒澤明ハリウッド進出の道は閉ざされる。フォックス社長のダリルとの共鳴、真摯に作品に向き合ってくれたエルモとの確執、クロサワは何を想い何を諦めたのか、数々の資料から読み解いていく過程はまさに "藪の中" である。真実は無数にある。ただその記録が日本にはほとんど残されていなかった惨状、安易に過去を消し去る民度に憤りを感じる。
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ハリウッドとジョイント制作しようとした『虎 虎 虎』は水泡に帰し、その真相に迫る。黒澤の職人気質が米国の商業主義に受け入れられなかったのか、あるいは米国の商業主義を黒澤が受け入れなかったのか。
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いろいろと理解できたことは多かったのですが、 黒沢さんの側近の方達よりの見方、意見だと思うので、 すっきりしない感じはあります。 閉じた世界なのだ、ということはよく伝わってきました。 それだけです。
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「クロサワVSハリウッド」とタイトルはなっているが、半ば主役はアメリカ側プロデューサーのエルモ・ウィリアムズとリチャード・ザナックの方だろう。 黒澤は途中から奇行に走ってしまうので、トラブル収拾に追われるプロデューサー側の苦心と誠実さが目立つ。 撮影現場でのさまざまなトラブルに...
「クロサワVSハリウッド」とタイトルはなっているが、半ば主役はアメリカ側プロデューサーのエルモ・ウィリアムズとリチャード・ザナックの方だろう。 黒澤は途中から奇行に走ってしまうので、トラブル収拾に追われるプロデューサー側の苦心と誠実さが目立つ。 撮影現場でのさまざまなトラブルに関しては聞いていたが、それに対する日本側スタッフに(普段の黒澤組ではないとはいえ)監督に対するバックアップがまるでない、というより敵意を買っている状況の厳しさは想像していなかった。 黒澤の、というより日本側は、契約の確認・意思の疎通の杜撰さ、一人の人間が情報を握り締めてしまうことの弊害など、いかに30年前とはいえあまりにも不用意でビジネス的感覚に欠けるように見える。 どこからどう見ても、当時の黒澤の立場はアメリカ映画の下請けプロダクションの社長兼現場監督以外の何者でもなく、最終決定権はすべてアメリカ側にあることが契約で明記されているのだから。(余談だが、レター形式の契約書というのがあるのを、初めて知った) そういう内容を社長に伝えない部下というのも、信じがたい存在だ。「悪い報告をしない部下を罰せよ」という箴言を思い出す。 黒澤は監督としての偉業とは別に、私企業の社長としてはあまりに甘い。信用してはいけない者の讒言に騙される「乱」の秀虎は、なるほど自画像かと思わせる。 それとこの労作が書かれたのは、アメリカ側に膨大な資料が残され、ウィリアムズらの証言が取れたことが大きい。 対して、多くの日本側関係者は多くの製作側スタッフが口を閉ざしたため事情が不透明になり、いたずらに傷を広げた。その後も証言が取れないまま鬼籍に入った人も多い。いかにも日本的な処理の仕方だった。 筆者はだからといって黒澤を個人攻撃しているわけではまったくない(ラストで明かされる筆者の立場を読むと、えっと思う)。 ただ、周到で平等な取材と視点、というジャーナリズムの原点に則った方法論をとったことが、適切な批判的な距離を置くことにつながり、簡単に埋められない日米の、黒澤とハリウッドの溝の悲劇を浮き彫りにしている。 「グッドナイト&グッドラック」の主人公エド・マローの研究者である筆者の面目躍如といったところ。 あと、具体的に検証されているのが、当時の映画界の日本のみならずアメリカでの経済的苦境で、「サウンド・オブ・ミュージック」が「風と共に去りぬ」を初めて抜くメガヒットを記録した年ですら、20世紀フォックスは赤字だったという。そこから来る焦りもボタンのかけ違いを大きくしたのがわかる。
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時は1967年、当時50代半ばにして、芸術的な探究心のピークにあった黒澤が、ハリウッド進出を画策しつつも、「暴走機関車」が企画倒れに終わり、悶々としているなか、「史上最大の作戦」の20世紀フォックスが黒澤に「パールハーバー」について日米両面から描く一大スペクタクルの企画を打診する...
時は1967年、当時50代半ばにして、芸術的な探究心のピークにあった黒澤が、ハリウッド進出を画策しつつも、「暴走機関車」が企画倒れに終わり、悶々としているなか、「史上最大の作戦」の20世紀フォックスが黒澤に「パールハーバー」について日米両面から描く一大スペクタクルの企画を打診する。。。。。 とここまでは、非常に羽振りのいい話なのですが、いつしか、黒澤は英語という壁、当時のやくざ映画ブーム、黒澤プロダクションの社長という立場、自らの飽くなき芸術的探求心、山本五十六と自分との見境がなくなりつつある病的執着心。。。もろもろから精神のバランスを崩してしまうという、悲劇が事細かく描かれています。 一芸術愛好家の立場からは、黒澤を愛することができたとしても、この本を読むと、決して黒澤の下で働くことは本当に幸せだったのか、というネガティブな印象も抱いてしまいます。 本当の意味で黒澤の何たるかをしりたいと思うかたには、是非とも読んで頂きたいと思う一冊です。
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