フィールドワーク 日吉・帝国海軍大地下壕 の商品レビュー
慶応大学の日吉キャンパスの敷地内には、長い地下壕が掘られており、戦時中には、連合艦隊司令部と海軍総隊司令部が入っていました。 当時、海軍職員や近隣の住民にも秘密にされていた大地下壕の詳細なデータがまとめられた本です。 当時の軍事機密は、かなり焼却処分などで破棄され、残されていな...
慶応大学の日吉キャンパスの敷地内には、長い地下壕が掘られており、戦時中には、連合艦隊司令部と海軍総隊司令部が入っていました。 当時、海軍職員や近隣の住民にも秘密にされていた大地下壕の詳細なデータがまとめられた本です。 当時の軍事機密は、かなり焼却処分などで破棄され、残されていないと聞いていますが、丁寧に当時のデータを集められています。 日吉の丘に穴を掘り、延べ2.6キロの長さを持つ地下壕。 敗戦の日までツルハシで地下壕を掘り進める工事は続行され、1945年8月15日に海軍省の艦政本部が入る予定だったものの、敗戦となったため、使用されなかったそうです。 以前、日吉台地下壕の見学をしたことがあります。ほぼすべてを人の手による過酷な突貫工事で掘り進めたと聞きますが、コンクリートで岩肌を覆った地下施設は、長期間地上にでなくてもいいように、相当長い距離を掘られており、近くに爆弾が落とされても耐えられるほど非常に堅牢に作られていることを実際にこの目で見て、驚きました。 中央統括機関の置かれた東京の霞が関からではなく、のどかで平和な横浜北部の丘に密かに掘り作られた堅牢な地下壕から、戦艦「大和」の出撃命令や、特攻作戦の指示が出されたというのは、横浜市民にとってはなかなかの衝撃です。 私立大学の敷地内にある閉鎖された施設ですが、ここは後の世に伝えるべき日本の軍事遺産。 当時の状態を知るためにも、この本はとても貴重な資料となっています。
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数年前に住んでいた横浜市港北区日吉一帯に、戦時中の海軍司令部が置かれていた。今も、慶応大学日吉キャンパスの下に、戦争遺跡として地下壕が眠っている。日吉在住当時から知ってはいて、年に1回ぐらい開かれる見学会に参加したいと思っていたが結局機会に恵まれなかった。本書では、戦争当時の経緯...
数年前に住んでいた横浜市港北区日吉一帯に、戦時中の海軍司令部が置かれていた。今も、慶応大学日吉キャンパスの下に、戦争遺跡として地下壕が眠っている。日吉在住当時から知ってはいて、年に1回ぐらい開かれる見学会に参加したいと思っていたが結局機会に恵まれなかった。本書では、戦争当時の経緯や現在の地下壕の経緯などを詳細に報告している。
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